えんだより2021年7月分

「主の慈しみをとこしえに
わたしは歌います。」
<詩編89編2節>

「分かち合う関係」

  おおい町にある「若州一滴文庫」に
行った時のこと。創設者である作家の水上勉が、
自身の幼少期の思い出を語っている映像を見る
機会がありました。水上氏曰く、
「自分は極貧の家に育ったので、食事は一匹の魚
を家族で分け合って食べた。兄弟が5人もいたので
いつも不満だったけれど、今思い出してみると
母は何も食べていなかった……。」
遠くを見つめる水上氏の目は、子どもを優先する
母の愛の大きさをなぞっているかのようでした。
 日本人の価値観の中では、昔から
「良い母親=我慢する母親」という方程式が
成り立っています。この感性は今なお
生き続けているようで、数年前ある絵本作家が
作詞した『あたしおかあさんだから』という曲
がネットで炎上したことがありました。
その理由は「歌詞が自己犠牲を
強要しているようだから」だそうで、
あるコラムニストはこれを
「母性という呪い」とまで表現していました。
 確かに、子育ては子どもを最優先にしなければ
ならないことがあるのは事実です。しかし
「子どもが最優先」と「母親は犠牲になるべき」は、
必ずしもイコールではないと私は思っています。
たとえ現実的にはそうならざるを得ない局面が
あるにしても、それはあくまで改善の余地のある
ベターな状況であって、美しく目標とすべき
ベストな状況ではないでしょう。
 昨年度の末以来、朝日幼稚園のお誕生会では、
園児だけなく職員の誕生日も祝うようになりました。
これは私たちが定めたのではなく、園児たちの
要望に応えて実現したものです。ある月の
お誕生日会の時のこと、ひとつのクラスの子たちが
にわかにザワザワし始めました。
行って話を聞いてみると、
「あのね、私たちの(担任の)先生も、
今月お誕生日だよ。一緒にお祝いしたいよ。」
と言うのです。確かにその通りだ!と思い
早速先生もお祝いしたところ、
子どもたちは大喜びしてくれました。
以来、私たちの園ではなるべく子どもも大人も
一緒にお祝いするようにしています。
 「私の分はいいから、お前が食べなさい……」
といって我慢をする大人の姿は、もう過去のもの。
これからは、大人も子どもと一緒に楽しみながら
「おいしいね、楽しいね♪」と喜びを分かち合う
関係を築いて行きたいと願っています。
 

聖句
「主の慈しみをとこしえに
わたしは歌います。」
<詩編89編2節>

讃美歌 「くすしき みめぐみ」 「きょうはひかりが」

今月の歌 「水あそび」

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