えんだより2020年10月分

「ハレルヤ。
新しい歌を主に向かって歌え。」
<詩編149編1節>

「学びを喜ぶちから」

以前、学習塾で教えていた時のこと、
ときどき生徒に「先生、この勉強って
いつ役に立つんですか?」と尋ねられる
ことがありました。確かに、連立方程式も、
大化の改新の年号も、アルタイル星の位置も、
大人になってから一度も活用した覚えは
ありません。私はいつも答えに窮して
しまっていたように思います。
目的が分からない過酷な労働をさせられること、
これは人間にとって最も耐え難い責め苦の
一つあると言われています。残酷な軍隊は
捕虜に穴を掘らせ、次の日にその穴を
埋めさせるという労働を毎日繰り返させる
そうです。子どもたちからしてみれば、
学校の勉強はこれに似ているように見えること
でしょう。大人もその意義を答えられない知識を、
延々と強要されるのです。勉強が嫌いな子が
多いのは、必然なのかもしれません。
しかし一方で、知識が私たちの人生を豊かに
することも、また事実です。先日、
サン=テグジュペリの『人間の大地』(堀口大学訳)
という本を読んでいたときのこと、
私は当初あまりにも内容が難しすぎて、
少し読んで読み続けることをやめてしまいました。
しかし、たまたま別の出版社が出版した同じ本
(渋谷豊訳)を手にする機会があったとき、
私は別の本を読んでいるかのように、スラスラと
読み進めることが出来ました。つまり、
『人間の大地』という本の内容が難しかった
のではなく、最初の本の日本語訳の質が
悪かったのです。私はこの時、もし自分に
フランス語の知識があって原文を読むことが
出来たなら、より本来の感動を味わうことが
出来ただろうと悔しい思いがしました。
私には知識がなかったゆえに、人生を豊かに
する機会の一つを取り逃がしてしまったのです。
フランス語を学ぶためには、言語の習得に
慣れる必要があります。言語の習得に慣れるには、
英語の学習が近道です。そして英語を学習する
には、知らない言葉を話せるようになる喜びを
知っていなければいけません。このように
考えてみると、勉強が好きになるためには、
「挑戦を楽しむ」というスキルが必要不可欠
であることが分かるのです。
私たちの幼稚園では、子どもたちが自分自身の
力で成長する機会を大変重んじています。
一人一人の成長に合わせチャレンジを促しつつ、
出来ることが増えたときには共に喜ぶのです。
その結果、出来ないことが出来るようになる
素晴らしさを、子どもたちは体験出来るように
なるのです。
幼児教育がその後の人生に影響を与える所以は、
まさにここにあります。「今、何が出来るか」
ではなく「将来、挑戦を楽しむことが出来る」
ために、小さな小さな種まきを、幼稚園の先生
たちは今日も続けているのです。

聖句
「ハレルヤ。
新しい歌を主に向かって歌え。」
詩編149編1節

讃美歌 「こどもをまねく」
「おそいくるライオン」

月の歌 「うんどうかいのうた」

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