えんだより2018年12月分

「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、
思い巡らしていた。」
<新約聖書 ルカによる福音書2章19節>


「神様を心に納める」

 12月です。幼稚園では11月から練習を重ねている
クリスマス会が8日(土)に迫っています。
子どもたちの体調管理にお心遣いいただきながら
待ち望んでくださいますように。

クリスマス会で行われるページェントは
主イエス・キリストのご誕生の物語です。
キリストのご誕生というとどことなく
ゆったりしたイメージを持たれるかもしれません。
しかし意外に思われるかもしれませんが
主イエスがお生まれになった時は
とても慌ただしい中にありました。
マリアは身重であるのに当時のローマ皇帝の
命令によって部族の出身地であるベツレヘムへ行って
住民登録をしなければならなくなりました。
だから出産の時に赤ちゃん主イエスは
家畜小屋の飼い葉桶に寝かせられることとなったのです。
羊飼いたちもやってきますが、彼らも羊の夜番の時に
急に天使のお告げを受けて急いでやってきたのです。
誕生の日だけではありません。
母マリアの十月十日はまことに慌ただしい日々でした。
ヨセフとの普通の結婚を心待ちにしていた、
うら若い娘への天使からの突然の受胎告知、
マリアの突然の妊娠を受け入れることのできない
婚約者ヨセフとのやりとり、
周囲の理解も得られたわけではなかったことでしょう。
そして皇帝の身勝手な命令に身重の体をやつしての旅・・・。
その果てに、家畜小屋での出産となったのです。
神様の導きの中でなされているはずのことなのに、
思うようにいかぬことばかりで、
振り回されているような日々です。
マリアの身になったら文句や愚痴の一つも
言いたくなるところではないでしょうか。

しかし聖書は「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、
思い巡らしていた。」と記しています。
マリアが特別に落ち着いた女性だったということでは
ありません。むしろマリアにはわからないことだらけです。
マリアの頭ではどうしてこんなことになるのか、
わからないのです。この後博士たちの訪問後には、
命まで狙われ、逃げ延びることにもなるのです。

でもただ一つだけマリアにわかっていることがありました。
人間にわからないことは神様にお任せするしかないということです。
それが「心に納めて、思い巡らす」ということです。
何を心に納めるのでしょう、何を思いめぐらすのでしょうか。
飼い葉桶の主イエスを心に納め、このお方を思い巡らすのです。
飼い葉桶の主イエスには周りの騒ぎや
人の心の右往左往に関わりない静けさがあります。
この方に向かうとき人の心は納まり、
思い巡らす者とされるのです。
主イエスを見つめるマリアの心には
不思議な静けさが満ちているようです。
主イエスは別名をインマヌエル(神は我々と共におられる)
と呼ばれます。神様が共にいてくださる心は
このマリアにだけではありません。
この方に思いを向けるすべての者に与えられるのです。

ページェントで子どもたちは自分の役柄を演じ
セリフを口にすることで神様を心に納めて、
思い巡らすという敬虔な体験をします。
そしてそれは観ている方々にも伝わります。
慌ただしい日々、答えの見つからない日々、
神様がいるならどうして、と思うような時。
だからこそ主イエスに心を納め思いを巡らすのです。
神様は子どもたちと共に、そしてあなたと共に
いて下さる方なのです。

私たちの世界に救い主イエス・キリストを
送ってくださいました天の父なる神様。
慌ただしさの中で心が擦り切れそうになる私たちです。
マリアと共にいてくださる主イエス・キリストが
いつも子どもたちと共に、
そして私たちと共にいてくださり
私たちの心をお守りくださいますように。
幼稚園のクリスマスを、世界中のクリスマスを、
家庭のクリスマスを豊かに祝福してくださいますように、
主イエス・キリストのお名前によってお祈りします、アーメン。
  

12月の聖書のみことば
「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、
思い巡らしていた。」
<新約聖書 ルカによる福音書2章19節>

讃美歌  「うまやのイエスは」「こえのかぎりかみをたたえよ!」

今月の歌 「お正月」

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