えんだより2018年9月分

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
<新約聖書 ローマの教会への手紙から>


「喜びも悲しみも共に」

 みなさんこの夏はどのように
おすごしになられましたか。
お知らせですが2学期からひつじ組に
またお友だちが増えます。
子どもたち、皆さんと一緒に、
新しい学期をまた共に始められますことを
心より感謝いたします。

幼稚園に集まって共にすごせる友だちが
いることは子どもの成長にとって
大切なことです。それは他の人たち、
自分と違う人たちと一緒に生きることは
素晴らしいことだ、との実感を身に付ける
ということだからです。
2学期は運動会、クリスマス会という
2大行事があります。共にある子どもたち、
教師と一緒に皆と力を合わせて取り組み、
その過程と結果を共有するという経験をするのです。

その中でさまざまなことを経験します。
うまくできたという喜びがあります。
また、練習がうまくいかなくて泣いてしまう
こともあるかもしれません。自分だけではなくて
クラスの子どもと、他のクラスの子どもたちとも、
そういう姿を露にし、また目の当たりにしながら、
喜びも泣くことも分かち合うという時そのものが
自分のものになっていきます。
喜びばかりで思うようにうまくいくのが
必ずしも良いわけではありません。
泣くことは失敗でダメなことだというのでも
ありません。喜びも泣くこともどちらも
大切なことなのです。喜びも泣くことも
共にできることが人間同士の関係を育て、
ひとりひとりの心と体を育てていくのです。
幼児期のそのような経験は後の生きていく上
でのかけがえのない土台となるのです。

最近はできるだけ短時間で効率をあげて
最大限の結果を出すというのが強く
求められているように感じられます。
ある国会議員が人間に対して
「そういう人たちは生産性がない」との発言を
しました。しかしそれほどには問題にはされず、
いつの間にかうやむやになってしまったようです。
いったい、人間の生産性とは何なのでしょうか?
生産性という言葉は機械の効率などに対して
使う言葉で人間に対して使う言葉ではないはずです。
もし子どもの成長、教育に生産性云々と
いうことが言われるとしたら恐ろしいことです。
共に喜ぶことや共に泣くこと、過程のなかで
経験する様々なことはムダなこととして
切り捨てられ、生産性のある結果を出すことだけが
求められることとなってしまうでしょう。

人間は、ましてや子どもは生産性どうこうで
括られる存在ではありません。ひとりひとりの
子どもの個性、特長、成長の段階、得意、苦手、
環境、背景、共にいる人々、教師・・・、
それらがそれぞれ関係し合いながらその子の歩みを
形作っていくのです。今、または直近のある
結果だけで考えてはいけないのです。
神が与えてくださった様々な関係の中で、
その子だけにある、その人だけにある特別な
育ちがなされていくのです。
2学期、子どもとともに私たち皆も関わらせて
いただきながら私たちも共に成長させて
いただきましょう。ご一緒に力を合わせて
子どもの成長を後押ししてまいりましょう。

一緒にいることのできる家族、友だち、
先生を与えてくださる天の父なる神様。
多くの人とともに喜びを、悲しみを
わかちあわせてください。
毎日の得がたい経験を積み重ねながら
子どもたちが健やかに育まれていきますように、
二学期も守り導いてください。
主イエス・キリスト様のお名前によって
お祈りします、アーメン。




9月の聖書のみことば
 「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
<新約聖書 ローマの教会への手紙から >

讃美歌  「おそいくるライオン」「うたいましょう」

月の歌 「しょうじょうじのたぬきばやし」

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