えんだより2015年11月分

「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。」
<旧約聖書より>



「強く生きる子どもたち」

   朝日幼稚園を卒園したどもたちが、活躍している姿を
見るのは本当に嬉しいものです。大きな園ではありませんが、
人数から考えると、とても多くの子の名前を各方面で耳に
するのです。幼稚園で身につけた生きる力が開花し、これからも
豊かに大輪の花を咲かせていくのが楽しみでなりません。

 「生きる力」はいろいろな困難にぶつかり、それを乗り越えて
いくことによってますます鍛えられ強くされていきます。当たり前の
ことですが、私たちが生きていく上で強さは絶対に必要です。
そのためには自分の弱さを知り、それを克服することが求められます。
弱さを弱さとしてただ認めてしまって、そこからでてくる恐れに
押し流されてしまっては人間は進歩も成長もすることはできません。
これは子どもでも大人でも同じことです。


 ジム・アボットという野球選手がいました。アメリカ大リーグ
ニューヨークヤンキースに在籍し888奪三振、87勝利の実績を
残しました。実は彼には生まれつき右手の手首より先がありません
でした。自身の障がいについて聞かれた際、彼は「自分が障がい者
だと思ったことはない。子供の時自分に野球を教えようとして庭に
連れ出した父こそ勇気のある人間だ」と答えたそうです。アボット
自身も強さを身につけた人でしたが、彼をそのように育てた父親
こそが勇気のある人間だ、とアボット自身が思っていたのです。

 同じ状況だったら、私はどういう対応をするだろうと考えました。
幼い時は子どもよりも、むしろ親に強さが求められるのだと思います。
 アボットはまたこんな言葉も残しています。「(野球がくれた)最大の
贈り物は、ほかの人と違うという重荷を負いながら平穏な心を手に
入れる力かもしれない。そして、その教訓は、どんなに苦しくても
失敗を通じて学ばなければならなかった。」と。アボットが繰り返す
失敗というチャレンジをずっと見守り、励まし、祈り続けた両親の
姿が目に浮かぶようです。子どもの現実の弱さや欠点を認め、
しかしそのことに「強く、雄々しく恐れずに」ともに立ち向かうのが、
親のできることでしょう。そして、優しさも思いやりも暖かさも、ともに
泣くことも、この強さとともにあるものだと思うのです。

 神が各々に与えられた弱さや恐れはそのことによって私たちを
成長させるために愛する神があたえてくださった特別な贈り物です。
贈り物は受け取って包みを開けてこそ意味があります。しまったまま
にしておいては何の意味もありません。弱さや恐れの箱を開けて、
強くされる道を私たちは進んでいくのです。


 子どもは、親が何を言うかよりも、親が自分をどのように見ている
かを敏感に感じ取り、そのように自己イメージを形作っていきます。
アボットの両親は子どものことを弱い哀れな人間だとは見ていなかった
はずです。そうではなくて、この子の中に大きな豊かな可能性を
見出していたに違いありません。神とともに、あなたの愛する子ども
と一緒に、強く、また雄々しく、恐れずに秋の日をまっすぐに
進んでいきましょう。

 私たち一人ひとりを皆、違ったものとして創造し
命をお与えくださいました父なる神様。
弱さや恐れもあなたからの贈り物として受け取ります。そして、
そのことに立ち向かいチャレンジして人間としての強さを、雄々しさを
身につけていきたいと願います。私たちの子どもの姿をしっかりと
見つめさせてください。その強さを育てさせてください。私たち人間
すべてを救い出すために自ら十字架におもむいてくださった強い
救い主・イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします、アーメン。



聖句 強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。」
<旧約聖書より>

讃美歌 「もろびとこぞりて」「きよしこのよる」
「むかしむかしイエスさまは」

今月の歌 「たきび」

えんだより目次へ戻る