えんだより2015年10月分

「隣人(となりびと)を自分のように愛しなさい」
<新約聖書 ローマにある教会への手紙13章9節>



「どんな自分でも愛されています」

  運動会を間近に控えて子どもたちの練習にも熱が
入ってきました。身体を動かし心を使って、この時しか
できない色んな練習に取り組んでいます。さて、突然ですが、
皆さんは、子育てをしている自分自身を見て、自分に点数を
つけるとしたら何点ぐらいだと思われますか?


 私は自分の子どもをもって、「自分は落第点ではないか。」と
思ったことがありました。自分の機嫌の良いときや、子どもが
いうことをよくきいてくれる時にはいいのですが、自分が疲れていたり、
子どもがいうことをきいてくれないとなるともうダメです。なんとか
優しくしようと思っているのに、息子を怒鳴ったり、傷つけるような
言葉を口にしてしまうことがありました。
 親が自分の子どもを愛することは当然のことだ、そう心から
思っていた自分自身がそうできなかったのです。落ち込みながら、
なぜか自分と親とのことをもう一度思い返しました。両親に対して
失礼な言い方かもしれませんが、ずいぶん欠点の多い親だったとは
思いますが、親は親なりに自分を愛してくれていたのだということが、
じんわりとわかってきました。「私は愛されていたんだな」と自分が
親になってみて遅まきながら気づかされたのです。


 そんな自分の経験から思いました。愛が分かるには時間が
かかるのではないかと。いろいろな育児情報では親はこうあるべき
だ、と様々なことが言われます。参考にするのは良いことですし、
自分を振り返ったり、反省したりすることは常に必要です。でも
完璧な親なんていないのです。そして子育ては勉強してから
やりますというわけにもいかないのです。不完全でも不十分でも
親が一生懸命になって子どもに接することそのものが必ず
子どもには伝わっていると思うのです。親の欠点や弱いところを
子どもなりに受け入れてくれているのではないでしょうか。思うように
いかなくても、何度も何度もすれ違っても、時が来たとき(それは
私のように自分が親になった時かもしれません)「自分は愛されて
いたんだ」と気づく時が来るのだと思うのです。でもそれは気づくのは
遅れたというだけで、親の愛はその前からずっとあるのです。


 最初に「自分に点数をつけるとしたら何点ぐらいだと思われますか?」
とお聞きしました。これはホントにくだらない質問です。人間に点数
なんかつけなくたっていいのです。テストで成績がつくものは点数が
付けられますが、人間そのものに点数をつけることはできません。
自分に点数をつけるということは、結局は子どもという人間にも
点数をつけるということにもなるでしょう。それが子どもと大人に
かかわらず人間が人間に対して一番、してはいけないことなのです。


 子どもにとって一番大事なのは「どんな自分でも愛されている」と
思えるということです。親がまず自分に点数をつけることをやめましょう。
運動会も点数をつけるためにするものではありません。各々の力を
全力で出す喜びを経験するためにするのです。子どものできる、
できないという結果ではなくて、努力している運動会までの毎日を
しっかり見守ってあげてください。
 それが神様からいただいている子どもへの神が分けてくださる
親の愛なのだと私は思います。役員の方を始めとして保護者の
皆さんのご協力をこの月もよろしくお願い致します。


 天の父なる神様。あなたからいただいた子どもを私たちは
愛そうといたします。でも、なかなか思うようにいかないのです。
かえって望んでいないことをしてしまったり、心無い言葉を
ぶつけてしまったりしてしまうのです。自分は欠点や弱さを持つ
足りない親です。そのことを素直に認めます。そして、だからこそ、
精一杯子どもを愛していきたいと願います。どうぞ、愛の力を
あたえてください。子どもにも、自分にも失望せず、いつも
希望を抱きながら歩めるように支えてください。愛の主イエス・キリスト
のお名前によってお祈りします、アーメン。



聖句 「隣人(となりびと)を自分のように愛しなさい」
<新約聖書 ローマにある教会への手紙13章9節>

讃美歌 「きゅうこんのなかには」「はたけにおやさい」

今月の歌 「モグモグ パクパク」

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