えんだより2015年7月分

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
<新約聖書 マルコによる福音書6章50節>



「安心の中で健やかに育つ」

  7月になりました。プールも設置されて夏ならではの
楽しみに心も体も熱くなります。クラス懇談、お泊まり保育、
お父さんたちのご協力の中、着々と準備が進められています
夕涼み会とイベントも盛りだくさんです。健康に気をつけて
この時にしか楽しめない夏をすごしましょう。


 夏に出かける機会が多くなったり、水遊びの時などに
私たちは子どもの安全は充分に心がけます。安全というのは
子どもの成長に欠かせない環境要素の一つです。これはいわば
子どもの体を物理的な危険から守るための必要注意事項です。

 さて、安全と一字違いの「安心」も安全以上に大切なものです。
「安心」とはその字の通り「心が守られている」ことです。人が
一番安心感を感じる時というのは、誰かとつながっている時と
いわれます。安心できる人といる時と言い換えてもよいでしょう。
おそらく母親のお腹の中にいて暖かい羊水の中でゆったりと
している中で成長していた胎児の時の記憶が関係しているのでしょう。
大人でもぬるま湯に浸かるとリラックスしたり、子どもがぬいぐるみを
ギューッと抱くとほっとするというのもその記憶とつながって
いるのでしょう。

 子どもは生まれてからゆっくり少しずつ母親から離れていきます。
それは人としての自我の成長です。例えば三輪車などに乗って
母親から離れた行動をとるようになります。行動範囲が広がる
のです。でも同時に不安にもなります。見たことのないものや、
初めての経験がいっぱいあるわけです。そして恐くなるたびに
母親の姿を確認して、母親が自分を見ていてくれて、笑ってくれて
いると安心してまた進んでいくわけです。幼稚園、小学校、などに
行っても母親を目では見ていなくても心の中では母の姿を見て
確認して安心しているのです。そして家に帰ると何があっても
必ず母がいてくれることを疑うことがないから安心して笑って
帰って来られるのです。親に反抗したり、いうことを聞かなかったり、
駄々をこねたりするのも、受け入れられているという安心があるから
できることで、そのような反抗を重ね、叱られることで親が自分を
見ていてくれることに安心し、許してもらえることでまた深く安心して、
自我を育てていくのです。

 親以外に安心できる人を子どもは少しずつ世界の広がりの中で
先生、友人などをその子自身が見つけ出して行きます。幼稚園も
もちろんそのような場所です。そして遠い将来の結婚相手も
そのような安心の中で出会う時が来ることでしょう。

 でも、まず第一に子どもにとって大事なのは母親であり父であり
家庭です。父親参観が先日ありました。母親参観のときもそうでしたが、
それぞれのお父さんお母さんとお子さんとの姿が安心感に満ちて
いたことを見て、とても和やかな思いになりました。ご家庭での
その子とお父さんお母さんとの安心できる生活があることを
何よりと思いました。そして、子どもが自分自身を安心として
信頼してくれることは親にとても大きな安心となるのです。子どもと
お風呂に入ったりスキンシップすると私たちも安らぎますね。その
安心感があれば子どもはすくすく育ちます。親もますます元気に
なります。そしてそのような家庭を神が与えてくれたのです。

 楽なことばかりではないでしょう。心が揺さぶられたり不安に
なることもどうしたってあるでしょう。でもお母さんが、お父さんが、
子どもが、そして目には見えずともその家を支えてくださる
安心の源である神がいてくださるのです。安心は必ず不安に勝利
します。安心は必ず将来を拓いて行きます。そして、そのような中で
育った子どもは他の人にも安心を与えられる人になるでしょう。
そのような人々によって街も地域も学校も、そして私たち日本の国も
形作られていき、世界に安心を与えられる国でありたいと思います。
皆様の上に主イエス・キリストの安心を。

 
 いつも天でわたしたちすべてをご覧になっていて下さり、守りと
導きを与え続けていてくださる安心の源なる父なる神様。私たちの
家を祝福してください。父も母も子どもも皆があなたの安心の中で
健やかに心穏やかに毎日をすごし、成長していくことができますように。
 私たちを愛していてくださる主イエス・キリストのお名前によって
お祈りします、アーメン。






聖句 「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
<新約聖書 マルコによる福音書6章50節>

讃美歌 「イエスさまのおこえが」「おそらでひかる」

今月の歌 「せみ」

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