えんだより2015年6月分

「種は良い土地に落ち、百倍の実を結んだ。」
<新約聖書 ルカによる福音書8章8節>



「土を育てる」

   梅雨明けの今、外に出るのが楽しい季節です。
幼稚園でも花の日訪問、親子遠足を楽しく終えましたが、
みなさんのご家庭でもあちらこちらへお出かけになった方も
多いかと思います。木々の緑豊かな様子を見るだけで心が
なごみ、足取りも軽やかになりますね。

 
 さて、6月は芋苗遠足に出かけます。子どもたちの手で
植える、ほんの小さな苗が土の中で育ち秋には大きな
お芋になります。お芋の収獲までには苗、土、水、太陽、人手、
そして秋までの時間などが全部必要です。そのうちのどれか
ひとつ欠けてもお芋はできません。


 今月の聖書の言葉では苗ではなく種ですが、これも同じですね。
種は神があたえてくださる様々な才能や機会、人などとの出会い
です。そして土は人間です。私たちの生活の中にはたくさんの
種まきがなされています。どのような種が蒔かれるのかは
人によって環境によって異なりますが、それぞれに見える形で、
また見えない形で、たくさんの種が蒔かれていることは確かな
ことです。そして、ここでは蒔かれる種以上に大切なのが、土である
人がどのようなものであるかなのです。良い土地というのは
それぞれの種を受け入れ、種が育つことのできる土のことです。

 
 では、良い土の条件とはなんでしょうか。知人の有機農家の
方に土について聞いたことを記してみます。まずその土そのものの
特質を生かすことだそうです。同じ舞鶴でも場所場所で土は皆
違うそうです。人も土以上に皆違いますね。子どもを皆同じように
考えてはいけませんし、その必要もありません。そして、それを
踏まえたうえで適切な堆肥を入れていくそうです。堆肥は他のこと
には使えないように見えるもの(落ち葉、籾殻、米ぬか、鶏糞など)
でできています。その堆肥が土の中にもともと住んでいる微生物を
増やしてくれて、ミミズや昆虫などもその土を好んで集まるように
なります。生き物がたくさんいる土は種にとっても良い土なのです。
人の目には直接には子どもの成長には関係ないように見える
ことやあまり楽しいと思えないこともその子にとっての堆肥に
なるのではないでしょうか。ちなみに化学肥料は野菜に直接
栄養を点滴するようなもので、一時は良くても土を壊してしまう
のだそうです。必要な時間を省略するとのちのちいいことは
ないのです。そしてそのように育てた土を適切な時に耕します。
これも、むやみに耕すと土をダメにしてしまうそうです。手を
入れる時と入れない時がある、子どもも同じでしょうか。ほかにも
いろいろとあるのですが、何よりも土づくりが大切ということです。


 教育とは本来は土の部分一人づくりであるはずなのに、そこを
忘れてやたらに種を蒔くということになってしまうことがないでしょうか。
良い土がつくられてさえいえば、ある種が実らなくても、別の
種が必ず実ります。そもそもその種が実るのかは、神にしか
わからないことなのです。この種だと決めつけてしまうのはなく、
その子にとって神がよしとされた種が実っていくためのその子
自身をつくっていくことが幼児期には特に大切なことなのです。


 毎日の生活の中での思いや言葉のやりとり、道を歩いている
時に交わし合う心、食事を美味しくいただく楽しさ、季節の移り変わり
の中で花や緑や虫や鳥の美しさや鳴き声を耳にすること、そんな
何気ない毎日が子どもをつくり育てていきます。そして神が
よしとしてくださった時に、蒔かれた種は百倍の実を結ぶのです。
その時を楽しみに、焦らずたゆまず毎日を子どもと共に歩みましょう。


 私たちにたくさんの種を蒔いてくださる父なる神様。あなたが
あたえてくださった子どもを、そして私たち自身を良い土と
してください。神のあたえてくださる時の中で必要な時間をかけて
私たち自身をつくりあげてください。主イエス・キリスト様の名に
よって祈ります、アーメン。





聖句 「種は良い土地に落ち、百倍の実を結んだ。」
<新約聖書 ルカによる福音書8章8節>

讃美歌 「やさしいめが」「おとうさん」

今月の歌 「やぎさんゆうびん」

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