えんだより2015年5月分

「わたしと共にある神の恵み。」
<新約聖書 コリントの信徒への手紙第一 15章10節>



「よく見ましょう!」

  新学期も早1ヶ月が過ぎ、風薫る5月となりました。
4月の慌ただしさも一段落して5月になると子どもたちも
親御さんも少しゆとりが出てくる頃です。毎日の生活習慣や
ちょっと気になることなどにも余裕をもって取り組める頃でも
あります。

 でも、そのような時しばしば、問題が目に付きすぎたり、
「ああしよう、こうしよう」という方法論に思いがいってしまう
ことがあります。そうすると問題そのものに振り回されて
しまったり、子どもを枠にはめてすぐにでも自分の思う形に
もっていこうとしてしまいます。

 その前にまずなによりも、子どもを「よく」見ることをお勧め
します。「そんなのいつもしています」と思われることかも
しれません。でもあらためて意識してみませんか。


 子どもを「よく」見るの「よく」には三つの意味があります。


 第一に「良い思い」で見る、です。不思議なもので子どもに
限りませんが、相手のことをこうだと決めつけた目で見ると、
相手は必ずと言っていいほどあなたの前ではそのような
行動をとるものです。相手も思いに人間というものは反応して
しまうものなのです。反対に、決めつけた思いではなく、
できるだけまっさらな心で見ると相手の行動も変わって
くるものです。
 
 第二に「その子自身として」見る、です。子どものことを
無意識のうちに他の子どもや自分の思うところの理想の
子ども像とひき比べてしまっていることはないでしょうか。
比較の目で見られるのは誰でもいやです。自分を自分と
して見てくれていないと敏感に感じとります。たったひとりの
かけがえのない個人としてのその子を見るのです。自分を
自分として見てくれていることも子どもはすぐに悟ります。
すると自分が大事にされているという自己重要感がその子
の中に育ってきます。そして、心がのびのびします。のびのび
するとすくすく成長していきます。

 第三に「丁寧に」見る、です。子どもの動きがぎこちなかったら、
見えにくいところが痛いのかもしれません。ぐずぐずする時は、
なにか心に引っかかりがあるのかもしれません。「もう、なにを
グズグズしてるの」と思ってしまう前に、丁寧に体も心も
見てみましょう。丁寧に自分を見てくれる人には、自分のことを
もっともっと知ってほしいと人は思うものです。するともっと
子どものことが分かります。そして、子どもとの分かり合える
関係が形作られていきます。

 子どもは親が自分をどのように見てくれているかによって、
人間の基本的な見方を身につけます。子どもたちがこのように
他の人たちを見ることができるようになっていけば、将来に
わたって素晴らしい人間関係が築かれていきます。

 そして、これらのことは実は親だけではなくて、夫婦、
家族、知人、幼稚園での関係などなど、すべての人々に
同じように当てはまることです。

 神の恵みにつつまれて、共によく子どもを見ていきたいと
願います。


 新役員の方々もめでたく選出されました。役員の方々を
始め、保護者の皆様のご協力を頂きながら歩んでまいります。
GWのお休み明けにはリズムが崩れることもあります。
ご心配な点等ありましたら幼稚園は万全の体制をして
おりますので、どうぞご遠慮なくご相談ください。


 爽やかな初夏の日をお与えくださる天の父なる神様。
毎日見ているからこそ、この子を、よく見る私たちと
してください。イエス・キリスト様が見てくださるように、
私たちも、子どもを、妻を夫を家族を、そしてたくさんの
人たちを見ることのできる心をあたえてください。
 救い主イエス・キリスト様のお名前によってお祈りいたします、
アーメン。





聖句 「わたしと共にある神の恵み。」
<新約聖書 コリントの信徒への手紙第一 15章10節>

讃美歌 「いつもやさしく」「はなも とりもめがさめて」

今月の歌 「はをみがきましょう」

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