えんだより2015年3月分

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
<新約聖書 ローマにある教会への手紙>



「共に喜ぼう、共に悲しもう」

 3月になりました。春の訪れを肌で感じながら、
2014年度の終わりを思い、一日一日が
愛おしく思えます。ひとりひとりの子どもたちの顔を
思いながらこの1年の来し方を思い起こします。
私たちの記憶のほとんどは人間同士・人々との
関わりの中で育まれます。他の人たちと一緒に
私たち・個々の経験は形作られるのです。そして、
他の人と感情や思いを共有できたと感じられると
それはかけがえのない経験となって、その人の人格を
豊かにつくりあげるのです。

 近頃、社会全体に人間同士が向き合っての生の感情や
心のやり取りといったものが希薄になってきているようです。
一昔前よりも人と向き合うことが苦手な人々が増えていない
でしょうか。例えば、いい大人でも声をかけ合う時に
パソコンの方を向いたままの人がいます、片方は
一生懸命話しかけているのに、相手の目線はスマホに
いっているということもあります。

 先日、東京出張で電車に乗った際、スマホやゲーム機を
握っている人たちの周囲に透明な膜が張られているように
感じました。同じ東京でも私が住んでいた頃はもっと生の
人間の存在感のようなもの、互の存在を意識し合っている
ような感覚が感じられました。東京にいる私の息子の話ですが、
ある駅で電車事故に遭遇した際のことです。その時に多くの
人々が笑いながら事故写真を撮っていたことを、ショックだったと
話してくれました。私は「みんながそうじゃないだろう。」と
息子を励ましながらも、息子の言っていること、感じている
ことはよくわかるようにも思いました。その場でそのような
行動をした人たちも、一人ひとりが特別に悪いとか冷たい
人間だということはないと私は思います。けれども、生の
人間同士のやり取りが欠け、心の距離が離れてくると、
人と人との間の温度が冷え冷えしてくるように思います。
気づかぬうちに、人の温もりが感じられなくなります。
目の前の悲しい出来事もどこか他所での架空現実のように
なってしまいます。そして、悲しみに対してそのような心で
あるならば、他の人の喜びも自分には関係のないことで
あるようになってしまうのではないでしょうか。

 幼稚園での人間関係はお互いがとても近い関係です。
スマホもゲームもラインもありません、言葉と態度で面と
向かって向き合う必要があります。自分の喜びも悲しみも
そして友だちの喜びも悲しみも肌で感じられる距離です。
これは人間関係の基本です。そして、どれほど大人に
なってもこの基本は変わらないでしょう。相手と良い
コミュニケーションをとるために云々ということが社会で
語られることがありますが、幼少期からこのような人間関係の
基本が形成されていることが一番大事なことと思うのです。

 今月の聖書のことばは「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に
泣きなさい。」としました。この言葉を子どもたちが自分自身の
言葉とし続けて欲しいとの祈りをこめて選びました。

 園で出会う友だち、先生、行事などで会う友だちの
お父さんお母さん、いろんなところで出会う人々と、喜びを
そして悲しみを共に味わってほしいのです。イエス・キリストは
たくさんの人々とふれあい、一緒に笑い、一緒に泣いて
喜び悲しみを共にしながら、その人々を育てていきました。
私たちの幼稚園もそのような場所でありたいと
祈り願っています。

 三学期最後の月です。
役員の方々をはじめ、皆様のご協力の
もと、良き月といたしましょう。

 私たち一人一人と、喜びも悲しみも共にしてくださる主イエス・
キリストの父なる神様。私たちの心を豊かにしてください。
そのために喜びも悲しみも豊かに受け入れる経験を
あたえてください。一緒に笑える隣人を、一緒に泣ける隣人を
自分から見いだせるように目と心を開かせてください。
救い主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします、
アーメン。





聖句 「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
<新約聖書 ローマにある教会への手紙>

讃美歌 「ひかり ひかり」「いちわのとりさえ」

今月の歌 「ぶん ぶん ぶん」

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