えんだより2015年2月分

「憐み深い人々は、幸いである。」
<新約聖書 マタイによる福音書より>



「情緒豊かにーあわれみの心を」

     三学期も終わりに差し掛かってきました。1年で子どもたちは、
それぞれに豊かに成長しました。成長してくると情緒が豊かに
なってきます。同じ嬉しい楽しいであっても、どんなふうに
楽しいのかの微妙な違いや彩が感じられるようになってきます。
悲しみもワーワー泣くだけではなくて、しみじみとした悲しさや
切なさということがわかるようになってきます。そのような情緒は
いろいろなことに関係します。川の流れを見てウキウキしたり、
夕焼け空をみて切なくなったり、ある曲を聴くと嬉しくなったり、
寂しくなったりします。見るものや聞くものや匂いやモノの感触、
そういうものと自分の心の動きが様々な形で重なり合います。
どうしてこんな気持ちになるんだろう、と自分の心を不思議に
思ったり、時には持て余したりもします。
 情緒が豊かになるというのは喜びもそして悲しみも
大きく感じられるようになるということです。これは人間だけに
与えられている神からの豊かな恵みです。子どもが何かを考えたり
感じたりしている姿を見るのは大人にとっても恵みのひと時です。
その子の中で今、豊かな情緒が育まれていることを共に感じ、
味わい、私たちの情緒もまた育まれるのです。

 「憐み深い」というのは、情緒豊かな言葉です。「あわれみ」は
心豊かなとても繊細な感覚なのです。私たち日本人は古来、
「あわれみ」という心をとても大切にしてきました。辞典によると
「あわれ」は、元は、うれしい時、悲しいとき、面白い時、
腹立たしい時、恐ろしい時、憎い時、恋しい時、いとしい時など、
そのほか何事であっても、深く心に感じるあまり、思わず
「ああー」と、言葉にもならず、発せられる思い、と説明されます。
そして、そのような心があらわされて言葉や態度になることが
「あわれみ」なのです。この日本の国でずっと引き継がれてきた
日本人の心です。その心を子どもたちにも引き継いでいかねば
なりません。


 小さなものを大切に慈しむ思い、幼子はもちろん、体の弱い人、
生き物や自然、使っている生活用具にも「あわれみ」の心を
もって接してきたのが日本の文化です。道具を大切に手入れしながら
使い自分の体の一部のように愛着をもって使うこと、花や虫や木、
自然を愛でて共に生かされている喜びを共有すること、体の
弱い人に手を添えたり助けたりする時の心と心が行き交う暖かさ、
幼い子どもを大切に玉のように育てる感謝の思い・・・。それらが
育まれていくことがなくては、どんな知識も技術も能力も正しく
用いることができないでしょう。


 憐み深く生きることは、本人も周りも世界も幸せにします。
「あわれみ」と日本人の心のことを上に記しましたが、実は
いつの時代どこの国でも言葉や表現などは違っても、
同じ心があるのです。2千年前イスラエルの国で語られた
イエス・キリストの言葉が今月のみことばです。そして、
この言葉が幼稚園で子どもたちの中で拡がり、言葉と行いに
表れてくる幸いを私たちは日々経験するのです。2月の寒い
日の中ですが、「あわれみ」が私たちを温めてくれます。
みなさんのご家庭に神とともに、この温もりがありますように。
2月はお別れ遠足があります。心も体も守られて楽しい時と
なりますように。


 憐み深い天の父なる神様。あなたのあわれみをいただいて、
この世界は生かされています。人間も自然も毎日の生活の
中で起こり、またふれる物事もみな受け入れて、あわれみを
もって接することができますように。あなたはそこに幸いを
くださると約束してくださいました。その幸いを子どもたちに、
私たちに、すべての人々にお与えください。
 幸いの主、イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします、
アーメン。



聖句 「憐み深い人々は、幸いである。」
<新約聖書 マタイによる福音書より>

讃美歌 「わたしたちのともだちに」「いちわのとりさえ」「ひかり ひかり」

今月の歌 「うぐいす」

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