えんだより2014年10月分

「ただで受けたのだから、ただで与えさない」
<新約聖書 イエス・キリスト様の言葉から>



「受ける喜び、与える喜び」

     朝夕はすっかり涼しくなりました。あと数日で楽しみにしていた
運動会です。どのクラスも見所いっぱいですが、特に今年最後に
なるばら組は、新しくなった鼓隊の衣装やシンバルに負けない、
力強い演奏が響き渡るのをお聞き逃しなく。ひつじ、たんぽぽ、
すみれもそれぞれ今年しかない競技を精選しています。子どもたち
の活躍を存分にご覧いただくとともに陰にある努力と汗を心に
留めていただきたいと思います。
 努力と汗は尊いものです。これはお金では買えません。動ける
体と愛されている心を与えられていることをお父さんお母さんに、
そして、すべてを守り与えてくださっている天の父なる神様に
感謝しながら、子どもたちは一所懸命、熱心に取り組むのです。
 今月の聖句にある「ただで受ける」というのは、価値がないという
ことではありません。お金や物ではなく、あたえられた自分自身の
命と自分自身のするべきことに心から感謝して熱心に取り組むと
いうことです。「受ける」というのはいやいやながら消極的にではなく、
心から喜んでするものなのです。子どもたちは運動会の練習を
そのようにしたのです。だから、その結果としての運動会の成果を、
何かがもらえるからではなくて、喜んで精いっぱいに皆の前で
披露するのです。今度はお父さんお母さんおうちの方が、そして
私たち教師がその結果を喜んで受ける番です。
 考えてみると子どもの時はひたすらに「ただで受けてただで与えて、
またただで受けてただで与えて」を繰り返すのです。そのようにして
人間としての本当に大切なものはお金では買えないものだという
ことを体と心に刻みつけていくのです。このことがわかって大人に
なれば、お金やモノに振り回されません。お金はお金で、モノはモノで
正しく役に立つように使うことがきるようになるでしょう。
 将来、自分の家庭をもち子どもをもったときにも、自分がしてもらった
ように、子どもには、ただで全ての愛と必要を与えるでしょう。そして、
その子の成長そのものを受け入れて、ただただ素直に喜ぶことの
できる親になるでしょう。このように親子家族の営みの中で「ただで
受けたのだから、ただで与えなさい」ということが実践されていることが、
社会を形作っていくのです。
 人は、子どもは、ただ・無償で与えられる愛と喜びの中でしか本当には
育つことができまません。受けて与えることが喜びの中でいつまでも
繰り返される家庭を、学校を、社会を、日本を、世界を、皆でつくって
行きましょう。子どもたちの将来はそのような世界の中にあるのです。
 10月はほかにも芋掘り遠足、収穫感謝礼拝など秋の行事があります。
運動会を始めとして役員保護者のみなさんのご協力を重ねてお願い
致します。

 私たち人間にただですべてのものを与えてくださいました天の父なる
神様。元気に過ごせる毎日を、一緒に過ごせる人々を、することの
できる学びや仕事を、そして空気や水や豊かな自然、食べ物を、
そのほかの全てのものを惜しみなく与えてくださってありがとうございます。
実りの秋です。ぼくたち、わたしたちにも豊かな実りをあたえてください。
そしてその実りをたくさんの人たちに分け与えさせてください。受けること
も、与えることも喜びと感謝です。たくさんの喜びと感謝で、ぼくたち
わたしたちの心も体も、毎日いっぱいにしてください。
 このお祈りを私たちに十字架によってすべてをあたえてくださった
救い主イエス・キリスト様のお名前によってお祈りします、アーメン。


聖句 「ただで受けたのだから、ただで与えさない」
<新約聖書 イエス・キリスト様の言葉から>

讃美歌 「きょうはうれしい かんしゃさい」「わたしはしゅのこどもです」 

今月の歌 「やきいもグーチーパー」

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