えんだより2014年3月分

「主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にあるように。」
<新約聖書 テサロニケの信徒への手紙5章28節>

「できることとできないことを見分ける」

  王子動物園でのお別れ遠足も無事終わり、
いよいよ2013年度も終わりの月となりました。
バラ組は卒園、他のクラスも昇級します。このような時は、
本来ならば様々なことを振り返って、あのことこのことと
物思いにふける・・というべきなのでしょうが、年度末というのは
慌ただしく、子どもたちも、親であるみなさんも、瞬く間に時が
過ぎていってしまう、そんな日々ではないかとお察しします。
先日、牧師として1月に生まれたばかりの男の子の祝福の
お祈りを教会でしました。その子の母親も朝日の出身で、
こないだまで、まだまだ若い娘さんと思っていたので、人の
成長はなんて早いんだろう、と思わされました。みなさんも、
後で思い返すと、アッという間に子どもが成人になっていた、
という時がくるかもしれませんね。

 

 さて、子どもが年齢を重ねていくときに親というのは、全く
反対の二つの思いを持つものです。早く大きくなって欲しい
という思いと、いつまでもこのままでいてほしいという、全く
正反対の思いです。子どもが大きくなるというのは本当は
手がかからなくなって楽になるということで嬉しいことなのですが、
なぜか不思議ともっともっと手がかかって欲しいという気にも
なるものなのです。
 子どもの成長というのは子どもが自分から離れていくという
ことです。愛する者が少しずつ自分から離れていき、そして
それが必要なことだとわかっているというのは切ないものです。
これは親ならではの切なさでしょう。成長の嬉しさと離れていく
切なさとの両方が心の中でせめぎ合うような思いになるのです。
でも、答えは誰でもわかっていて、子どもは成長して親から
離れていってもらわなければならないのです。
 子どもが自分で出来ることが増えていくほどに、親は手出しが
できない、しない方が良い、してはいけない部分が出てきます。
小学生となるとそれは尚更はっきりしてきます。
 ある方のお母さんの話です。そのお母さんは基本的な言葉遣いや
礼儀作法、常識などのことでは、非常に厳しい方でしたが、子どもの
年齢が進むほどにその子の考えや行動を尊重してくれたそうです。
幼い時から、子どもの学年が進むたびに、あらためて、これこれの
ことについては自分で考えて自分で責任を取りなさい、というような
ことを言われたそうです。そしてそれはその子にとってとても良いこと
でした。幼い心で、自分でしなければいけないことと親に泣きつける
こととの整理を子どもながらに自覚させてもらっていたのです。
 子どもにも不安があります。いつまでも親に甘えていたいという
気持ちも当然あります。親の方から離してあげないと、離れられない
こともたくさんあります。それを離さないままにしておくと、幼い時は
それほど問題にはならないでしょうけれども、年を重ねていくと、
自分のことが自分でできないまま大人になってしまいます。


 この進級神学の節目に、一年を振り返り、子どもの成長を
考えながら、離すべきところ、まだまだ手助けが必要なところを
整理してみてはどうでしょうか。それは、そのまま新しい年度への
一番の備えになるのです。子どもたちがすくすく育っていけます
ように、主イエスの恵みを祈ります。

 
 命を与え、命を育んでくださる天の父なる神様、小さな子どもの
命がアッという間に大きく育っていることに驚きを覚えながら、
感謝をいたします。いつまでも小さいままではなく、かといって
すぐに大人になれるのでもなく、一日一日、一年一年の中で、
子どもの命が育てられていることを信じます どうぞ、親として
するべきことを、また、してはいけないことを、そして、それを
見分ける知恵を私たちにあたえてください。
 イエスキリストのお名前によって祈ります、アーメン。



聖句 「主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にあるように。」
<新約聖書 テサロニケの信徒への手紙5章28節>

讃美歌 「つくしのように」「ちいさいいのちが」 

今月の歌 「春が来た」

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