えんだより2013年9月分

「癒しをもたらす舌は命の木」
<旧約聖書 知恵の言葉>

「言葉にある命」

 二学期が始まりました。夏の間、みなさんは
いかがお過ごしになられたでしょうか。しばらくの
時をへだてて、また、出会える場所があるというのは
なんと幸いなことでしょう。新しい喜びをもってこの九月を
おくりたいと願い、みなさんのうえに祝福を祈ります。

 
 人と人が出会うということは、すなわち、お互いに口を
開くことです。言葉とともに交わし合うことです。どのような
言葉を口にするかというのは、私たちの心の言葉を表す
ものです。「おはよう」という決まりきった朝のあいさつで
あっても、どのような「おはよう」なのかに自分自身の姿が、
そして、相手への思いの深さが表れてくるものです。子どもを
育てているとそれはよくお分かりになることでしょう。


 イギリス初の女性首相であったマーガレット・サッチャーに
このような言葉があります。「考えることが言葉になる、
言葉が行動になる、行動が習慣になる、習慣が人格をかたち創る。」
鋭い言葉です。自分ではそれほど意識していなくても
口から出ることばはその人がかんがえていることに違いありません。
そして、これもそれほど意識していないかもしれませんが、その
言葉がその人の行動を決定づけていくのです。そして、その
ような行動の積み重ねが、その人の人格を形造っていくのです。
これは心理学によって検証されてることとも一致します。
 私は趣味で時々昭和時代の映画を観ます。当時としては
普通だと思うのですが、今に比べて、言葉遣いの美しさに
驚かされます。今は汚い言葉や乱暴な言葉がどこかもてはやされて
いるような風潮があります。これは今の社会が昔よりも荒っぽく
ギスギスしているように感じられるのと無縁ではないでしょう。
悪い言葉は誰も教えなくてもおぼえます。しかし、美しい言葉や
丁寧な言葉、礼儀正しい言葉などは、教えなければ身につける
ことはできません。ここに教育機関、家庭の大事な役割が
あります。ガサガサ、ザラザラした自分やほかの人を削ってしまう
ような言葉ではなく、自分の心もほかの人の心も癒し慰めるような
言葉を子どもたちの舌にのせてあげたいと願うのです。そして、
そのようなことばがどれほど大きな力を持つのかということを
生きていく中で体験していって欲しいのです。


 自分がどのような言葉を話し、相手にそれがどのように
伝わるのか・・、それを幼い時から教えられ、意識し続けていく
ならば、良い行動と習慣、そして、美しい人格が形作られて
いくでしょう。それはとても長い道のりかもしれません。しかし、
確かな道のりです。幼稚園にいる頃、本人の記憶にもあまり
残らないような幼い時に、そのようなことを身につけることが
その子の一生の宝になるのです。


 二学期は何かと慌ただしく時がすぎていきます。そして、
だからこそ、美しい言葉をともに交わし合いながら、お互いを
磨きあえる、そのような時を過ごしたいと願うのです。
 二学期も保護者の皆様におかれましては、役員の方々を
はじめとして、ご助力、ご協力をお願い致します。


 まことの言葉を私たちにあたえてくださるイエス・キリストの
父なる御神。私たちの言葉を、思いを、心を、生活を、
美しく潤いあるものとしてください。家庭で、幼稚園で、
友だち同士で、様々な人との出会いの中で、美しい言葉を
交わし合うことができますように。救い主イエス・キリストの
お名前によってお祈りいたします、アーメン



聖句 「癒しをもたらす舌は命の木」
<旧約聖書 知恵の言葉>

讃美歌 「うれしいあさよ」「せかいのこどもは」 

今月の歌 「月」

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