えんだより2013年5月分

「わたしについて来なさい。」
<新約聖書 イエス・キリストの言葉>


「一歩一歩、はなれて育つ」

 四月から一月がすぎ、幼稚園にもだいぶ慣れた頃と思います。
お父さんお母さんも、期待と希望の中にも、落ち着かない思いを
持ちながらの日々だったのではないでしょうか。ここまでの神の
守りに共に感謝するとともに、みなさんのご家庭の上に神の
祝福を祈ります。


 さて、幼稚園に入園する、また、幼稚園生活をするというのは、
子どもにとってどのような意味があることなのでしょうか。子ども
は生まれて、当分のあいだは、お父さんお母さんにひたすら
ついてきていました。いつも一緒にいたのです。けれども、
幼稚園から少しずつ、親以外の他の人々、まずは先生に
ついていくことを始めます。親と子は、とても深い絆で結ばれて
いますから、当然ながら、急に離れることはできません。もしも、
幼稚園や小学校といった段階を踏まずに、ある一定の年齢で、
突然に親から離れなければいけないとなったら、これは無理な
ことでしょう。親と子は、幼稚園、小学校、中学校・・と、ゆっくりと
段階を踏んで、健全な分離の道を20年ぐらいかけて一歩一歩
進んでいくのです。子どもはいつかは親から離れていくものですが、
その第一歩が幼稚園といって良いのではないでしょうか。


 子どもが親から離れていくのは、一見、子どもの方が大変と
思われるかもしれませんが、実は親の方もなかなかに大変
なのです。最近、大きな問題になっていることのひとつは、
20歳どころか、かなりの年齢になっているのに、子どもを
手放すことのできない親が増えているということです。また、
子どももそれに疑問を感じることもなく、親から離れることなど、
考えてもいないことがあるというのです。嘘のような話ですが、
よい年齢になった青年が、意中の女性とデートをするときに、
彼の母親がついてくるということが最近はしばしばあるそうです。
マザコンという言葉は、一昔前は、他人から言われたら、大変
侮辱的な言葉でしたが、今は自ら喜んで「僕はマザコン」と
公言する若者がそう珍しくはないそうです。ことは男性だけでは
ありません。女性も、自分の育った家とあまりに仲が良すぎて、
自分の家庭を持っても精神的自立ができず、自分の生家に
べったりというケースも問題視されています。ご意見はいろいろ
あるとも思いますが、正しい親子間の分離ができなかったのでは
ないかと危惧します。最近の独身率の高さもこのことと無関係
ではないように思います。このような事柄は、「親所の仲が良くて
何が悪いのか」という一見、正しそうな言い訳があるので、
なかなか問題視されづらいのですが、ふさわしいあり方でない
ことは誰でも気づくことでしょう。いったい、そのような形で、
将来、自分の家族を新しく形作っていくことができるのでしょうか。


 そして、そのように問題が表面化する年齢になってからでは、
有効な手立てを講じることは、大変、難しいのです。それまでの
長い長い期間にその根があるわけですから。
 何事、その始まりが肝心であるのは言うまでもありません。
公に、親と少しずつ離れていく第一歩の幼稚園生活は、将来の
ための大事な、大事な一歩なのです。お母さんが少し
さみしい思いをするたびに、子どもはまた、一歩、離れながら、
健やかな成長をしているのです。そして、そのように、子どもが
一人の人間として健やかに育つことを神は望み、喜ばれるのです。

 
 先日の保護者総会、家庭訪問、懇談会を始めとして、保護者の
皆さんには、ご協力とともに、良い関係を築きながら、子どもたちの
成長をみまもり、導いていきたいと願っています。何かありましたら、
特に入園されて、まだ慣れておられない方は、どうぞご遠慮なく
お伝えください。
 5月からはお弁当が始まります。公に、先生や他の子どもたちと
食事すること、これも大きな一歩です。お弁当づくりも大変と
お察ししますが、共に歩んでいきましょう。


 私たちを愛してくださる主イエス・キリストの父なる神様。
新しく五月を迎えました。この一ヶ月の守りを感謝いたします。
ときに喜び、ときに泣きながら子どもたちは成長していきます。
私たちも、ともに喜び、ともに泣きながら、子どもと共に
成長していくことができますように。環境の変化や慣れない
ことの中で、体調を崩すことがありませんように、一人ひとりを
守り導いてください。
 救い主イエス・キリストのお名前によって祈ります、アーメン。












聖句 「わたしについて来なさい。」
<新約聖書 イエス・キリストの言葉>

讃美歌 「いつもやさしく」「どんどこどんどこ」「おててをパチパチ」 

今月の歌 「カエルのうた」

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