えんだより2012年11月分

「わたしの名は不思議という。」
<旧約聖書 土師記 13章18節>


「ふしぎ?」

 運動会、芋ほり遠足を終えて、早いものでもう11月となります。
秋の、このころになるといつも1年がなんて速いのだろう、と
思わされます。そして、1年の速さを思う時、与えられている
1日1日の大事さを思わずにおれません。子どもの成長も
驚くほど速いものです。1日1日でみると昨日と今日では何も
変わらないように見えますが、それが、積み重なるときに、
驚くほどのことが起こっているのです。
 人間はプログラム通りにはいきません。こうしたからこうなると
計算式のように答えを出すことはできません。子どもの中で
何かが起こり実ってくるのは、不思議な出来事として起こること
なのではないでしょうか。私たち大人は、子どもの成長のために
できる限りのことはしますし、、するべきですが、一番大切なことは、
ふとした時にわかる子供の成長を素直に認め、驚き、喜ぶという
ことではないでしょうか。

 現代の社会は、昔は不思議だったことの多くが科学で説明できるように
なりました。物事を解明し、つまらない迷信のようなものから
解き放たれることや、それで物事が速やかに進むことは良いことですし、
それ自体はは歓迎すべきことです。科学や計算ではっきりすることや、
その通りに作ればいい機械はそれでよいのです。
 けれども、生きているもの、特に人間は、そのようなわけには
いきません。同じことをやっても、同じ結果が出るとは限りません。
しばしば私たちは子どもが』自分の思っているようには成長しないことに
イライラすることもあります。それは自分の中で、これはこうなるはずとの
計算があり、それが計算通りにいかないということに、いらだって
しまうのでしょう。そうではなくて、むしろ、だから子どもは不思議だな、
面白いな、と考えることが大切なことなのです。

 私たちにはわからないことが、数えきれないほどあります。わかることが
増えれば増えるほど、わからないことも数限りなくあるということにも
気がつくようにもなるのです。そして、そのわからないことを無理に
わかろうとしないで、そのような不思議な部分(これをある国では
「神様の住まれる場所」と呼びます)を認めるときに、
その人の心の中に「わからないことを楽しみ期待するという場所」が
形作られていくのです。そして、この場所が人の心の中に、
人間が生きていくうえで欠かすことのできない想像力、生命力、
希望を豊かに育むのです。昔話やおとぎ話というのも、
人の心の中に、そのような不思議を受け入れる部分を
育てるためにあったものなのです。そのような部分がないと
その人の心は、理屈と計算だけになってしまって、乾いて
パサパサになってしまうことでしょう。

 今月の聖書のみことばは、神がある人に現れた時、名を訊かれて
答えた時のことばです。聖書の中には、この言葉に続いて、
その人の身にとても喜ばしい不思議なことが起こったと記されて
います。それは人間の思いをこえて、神がなしてくださったことでした。
そして、これは遠い昔の特別な出来事ではないのです。この不思議な
神は、私たち、子どもたち、一人一人にも、そえぞれの不思議を
あたえてくださる神なのです。
 12月のクリスマス会に向けて、11月半ばごろから、ページェントの
練習に入ります。クリスマスの出来事も、とても不思議なことです。
そのことをそのまま私たちの心で受け入れていくときに、子どもたち、
私たちの心の中にも「神様の生まれる場所」が豊かに形作られます。
そして、子どものうちにも、たくさんの想像力、生命力、希望が育ち、
それぞれに豊かな神の不思議が起こってくるのです。

 
 お祈り
 神様、あなたは不思議な方であり、私たちにも、たくさんの不思議な
ことをしてくださいます。私たちの思い通りにいかないことや、イライラ
してしまうことの中にも、神様が不思議の種をまいてくださることを
信じます。私たちにあたえられた子どものなかに、そして、私たち自身
のなかに、あなたの不思議を見出させてください。
 救い主イエス・キリストさまのお名前によってお祈りします。
                          アーメン

聖句 「わたしの名は不思議という。」
<旧約聖書 土師記 13章18節>

讃美歌 「うまやのイエスは」「いざ うたえ」

今月の歌 「たき火」

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