えんだより2012年5月分

「わたしは世の光です。」
<新約聖書 ヨハネによる福音書8章12節>


「光に照らされて」

 新学期が始まって20日が経ちました。子どもたちは、
もう園の生活にも慣れて、新しい生活のリズムも
身についてきています。こないだまでは、まだまだ
肌寒かった朝も、どこへやら、幼稚園では子どもたちが
元気に運動した後には早くも扇風機を回し始めているほどです。


 この5月は一年の中で最も、光を意識させられる月では
ないでしょうか。真夏の方がもちろん光は強いのですが、
暗い冬から、柔らかな光の4月の直後で、梅雨の6月に
はさまれた5月には、光がことさらにまぶしく感じられるように
思うのです。

 
 そんなまぶしい光の中で、今までひっそりと静まっていた
植物も寒さの中で蓄えていた力を解き放つように花や緑の葉を
風にあわせてそよがせます。そして、虫を始めとして様々な
生き物たちも奮い立つような勢いで元気に活動し始めます。
 子どもたちも私たちもそうです。5月になると、どこかへ
出かけたり、息づく自然の中に歩を進めたくなります。
幼稚園でも保護者のみなさんと一緒のバス遠足に福知山
三段池公園にでかけますので、どうぞお楽しみに。


 さて、そんな5月の聖句として、「光」にちなだ言葉を
選びました。光はすべての命の源です。私たちの地球が
命に満ちているのは、太陽の光があるからです。もしも、
太陽の光が弱々しいものだったならば、地球はたちまち
薄暗くなり、冷たい氷の星になり、命も消えていって
しまうでしょう。光で照らされているからこそ、地球は
命の星なのです。

 
 「光」は私たちの体だけではなくて、心にも欠かすことが
できません。
 私たちの心はしばしば暗くなってしまいます。そんな時、
自分で自分を明るくしようとしても空しくなってしまいます。
他の人が、その人の持っている光で照らしてあげることは
もちろんするのです。でも、その光では充分ではないことも
あるのです。限界があるのです。そして、もし、暗い心を
そのままにしておくと、その心は冷たくなり、生き生きした命を
失ってしまうでしょう。


 人の心の中に光を灯すことができるのは、ただ神お一人
なのです。人間の心は、神という光を灯すことによってのみ、
本当に明るくなることができるのです。この言葉の「わたし」
というのは、神の子イエス・キリストです。キリストは、ご自分の
光で私たちの心を明るく照らしてあげると約束してくださって
いるのです。


 幼稚園では聖書の言葉を毎月覚えます。そしてお祈りをします。
するとキリストの光が心を照らしてくれることがわかります。
子どもたちを見ているとそのことはとてもよくわかります。
そして、その光は決して消えることはないということを経験することは、
子どもたちの長い一生の中で大きな力になるのです。

 
 そして、この光に照らされた、たくさんの人々が、世界に、歴史に、
光をあたえてきたのです。なによりも、私たちの目の前にいる一人
ひとりの子どもたち自身が、一つの確かな光となって、私たちの
家庭を、町を、そして国を、世界を照らしてくれるのです。


 自然があたえてくれる外側の光、そして、心の内を照らして
くださるイエス・キリストの光を豊かにいただきながら、幸いな
5月の時を過ごしましょう。
 保護者の皆様にも、特に役員をお引き受けくださったみなさん
にはご労をいただきますが、よろしくお願いいたします。
子どもたちの輝く光を共に見つめながら、共にご協力を
お願い申しあげます。
 皆様方の上に神の祝福を祈ります。
 私たちの太陽であるイエス・キリストの父なる神様。
 まばゆいばかりの光の中で、私たちが日々を生き生きと歩む
ことのできますことを感謝いたします。この目に映る光よりも、
更に輝かしい光を、あなたは私たちにあたえてくださいます。
朝日幼稚園の子どもたち一人ひとりを、そのご家庭の
一人ひとりを、どうぞあなたの光で照らしてください。
そして、命あふれる豊かな日々を歩むことができますように
お守りください。
 救い主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン



聖句 「わたしは世の光です。」
<新約聖書 ヨハネの手紙第一 4章16節>

讃美歌 「あさひがぱっと」「おててをパチパチ」

今月の歌「バスごっこ」

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