えんだより2011年3月分

「まっすぐに見ようとせよ。平和な人には未来がある。」
<旧約聖書 詩編37篇37節>

「未来」を切り拓く子どもたち

 いよいよ、3月を迎えました。卒園・修了式まで、
あと僅かとなりました。

 毎年、この時期になると子どもたちが羽ばたいていく
姿を思い、「未来」という言葉が胸に浮かびます。
「未来は」、今はまだ見ることができません。「未来」は
子どもたち一人一人が
自分の力、切り拓いていくのです。

 その時に最も必要なものは何でしょうか。それは
まっすぐに見るということです。

 起こってくる出来事や、出会う人々や、そして、
自分自身のこともまっすぐに見るのです。斜めや、
後ろからに見るのではなく、まっすぐに向きあって、
見るのです。

 そうすれば、はっきりと、わかることがあります。
それは良いことと悪いことです。それを見分けることが
できます。そして、良いことをして、悪いことはしないように
するのです。簡単なことのようですけども、これは、
いつまでも変わらない人間の生き方の基本です。


 良いことをして、悪いことをしないようにすれば、心が
平和になります。誤魔化しやインチキや自分に嘘をつく必要が
ないからです。心にやましさがなく、すっきりします。
すぐには解決できないことも、もちろんありますが、自分の
心がまっすぐで平和でありさえすれば、未来は必ず、まっすぐに
拓かれていきます。
 
 もしも、時と場合によって、良いこと、悪いことが、
くるくる変わるような心でいると、その時は誤魔化せても、
心はぐちゃぐちゃになってしまいます。そして、いつしか、
良いも悪いもわからなくなって、未来は、不安でいっぱいに
なってしまうでしょう。

 
 朝日の子どもはまっすぐな心を知っています。どんな中でも、
まっすぐな心で人々に、接してくださったイエス・キリスト様
という方に幼稚園で出会っているからです。

 小学校へいくと、物差しでいろいろなものの長さを測ります。
それによってものの長さがキチンとわかるのです。それと同じく、
イエス様を自分の心の物差しにしていれば、心はまっすぐに
伸びていくことができます。まっすぐで平和な心は、夢と
希望があふれている「未来」を切り拓いていけるのです。


 もちろん、失敗や間違いをすることもあるでしょう。完全な
人間はイエス様以外はいないからです。でも、その時にも、
イエス様がそのことを教えてくれます。まっすぐな心は自分の
罪や、過ちに対しても、まっすぐです。自分の過ちに、
気づいたら、イエス様に「ごめんなさい」と素直に謝ります。
そして、友達や、お家の人にも、同じように、「ごめんなさい」
と素直に謝ります。それができれば、その子の心は何度でも、
イエス様が必ず、まっすぐにしてくれます。

 そのことを繰り返しながら、子どもたちは「未来」を
まっすぐに切り拓いていくのです。


「未来」は誰にもわかりません。だからこそ、おもしろいのです。
子どもたちが、どのように「未来」を生きていくかを、一緒に
見て、経験するのが、私たち親の、そして、朝日幼稚園の、
かけがえのない喜びです。そして、私たち親にも、神様の
子どもとして、幼い子どもたちと同じく、いつも「未来」が
ひらけているのです。愛する子どもたちと共に、神様が
あたえてくださる「未来」をまっすぐな心で拓いていきましょう。


 子どもたちに、そして私たちに「未来」をあたえてくださって
ありがとうございます。先のことがわからないとすぐ、心配に
なったり、心がぐらぐらしてしまいます。でも、イエス様の
まっすぐな心があれば、平和と未来がひらけていくことを
知りました。希望と夢がそこにあることを知りました。
どうぞ、私たちに、まっすぐな心を与えてください。
 
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。
―アーメンー
 

聖句 「まっすぐに見ようとせよ。平和な人には未来がある。」
<旧約聖書 詩編37篇37節 >

賛美歌  「ちから」「ひとりひとりのなをよんで」

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