えんだより2011年2月分

「平和があるように」と挨拶なさい。」
<新約聖書 マタイによる福音書10章12節>

「平和の挨拶」


 卒園が近づいています。ばら組のみんなは
小学校での新しい出会いに、胸をふくらませながらも、
ドキドキもしていることでしょう。小学校では、
たくさんの新しい人たちに出会います。そこで一番
最初にすることはなんでしょうか。それは挨拶です。

 口を開いて、心を開いて「こんにちは!」「おはよう!」
たどたどしくても、元気いっぱいに挨拶すれば、先生たちも、
お友だちも、同じように「こんにちは!」「おはよう!」と
挨拶してくれることでしょう。そしてそこから、新しい
おつきあいが始まります。

 小学校だけではありません。私たちは毎日、たくさんの
人々と出会います。なによりも、家族同士で、朝一番に
することが「おはよう!」の挨拶です。この頃のように
寒い朝だと、つい口も開きにくくなって「おあよ〜」みたいに
なりがちですが、だからこそ、思い切り口を開けて
元気に「おはようー!」、これが楽しい一日のスタートに
なります。

 
 朝日幼稚園の名前になっている「朝日」は地球の私たちへの
「おはよう!」の挨拶です。教師たちも朝、子どもたちを
出迎える時にまず、元気に挨拶します。少し元気のない子が
いても、それにつられて「おはよう!」と挨拶すると元気に
なります。楽しい一日を始めることができます。朝日幼稚園の
子どもはみんな挨拶できる元気な子どもです。そして、その
元気をみんなに分けてあげることのできる子どもとして
成長していきます。

 一日の始まりの挨拶はその一日がどういう一日になるかを
決めてしまいます。だからこそ、ほんの一言の挨拶の言葉が、
自分自身の一日を、そして、出会う人たちの一日を、
素晴らしい一日にすることもできるのではないでしょうか。


 「『平和があるように』と挨拶しなさい。」イエス様の
お弟子たちへの言葉です。この「平和があるように」という
挨拶は当時のごく普通の挨拶の言葉でした。そのことを
イエス様が、もういい大人になっているお弟子たちに
改めて教えたことの意味を考えさせられます。

 ここでイエス様は挨拶の言葉や形ではなくて、心を
教えているのです。本当にその人に「平和があるように」、
その言葉通りの心でその人に向き合っていますか、と
問い直されたのではないでしょうか。たった一言の言葉です。
何度も繰り返す、かわりばえのしない言葉です。でも、
その言葉に、相手と自分との平和の思い、一日を良い一日
として過ごして欲しいと言う祈りの心を込めているかどうかと
いうことです。

 人は関係が悪くなるとまず挨拶がきちんとできなくなります。
相手がそうなってしまった時に、自分も同じようにするのでは
悪循環です。そうではなくて自分は変わらず挨拶をする、
少しぐらい知らん顔をされたり、もごもごと、ごまかされたり
しても、同じ挨拶をこちらからはきちんとする。それが一日を
平和にしていくのです。幼稚園も私たちの家庭も学校も、
つまらない言い争いや、昨日をひきずる嫌な思いからでは
なくて、“平和の挨拶”から始めるのです。


 ばら組のみんなと交わす毎日の挨拶もあと僅かです。
でも、その一回一回を心を込めて「神様の平和があるように」
と祈りながら交わしたいと願います。そしてその
「平和の挨拶」は、ばら組の子どもたちから、小学校に
届けられ、そこからまた、たくさんの人々へと拡がって
いくのです。神の平和の思いが舞鶴の町中に届きますように。

 そして、皆さんのご家庭に「平和があるように」と、
今日も祈ります。


 争いや憎しみ、怒りがある世界です。いつの間にか
自分までそれに巻き込まれて平和の挨拶を忘れてしまいます。
朝、私たちの目を、口を、心を神様にそして、会う人たちに
聞かせてください。「おはよう」「こんにちは」と平和の
祈りを込めて挨拶させてください。こどもたちに、私たち
みんなの家に、そして出会うすべての人々にあなたの平和を
あたえてください。
 平和の主イエス・キリストのお名前によって祈ります。
アーメン




聖句 「平和があるように」と挨拶なさい。」
<新約聖書 マタイによる福音書10章12節 >

賛美歌  「ちから」「主イエスはまことのぶどうの木」

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