えんだより2010年11月分

光は闇の中で輝いている。
<新訳聖書 ヨハネによる福音書1章5節>

「冬の日のぬくもり」

 一雨ごとに冬の訪れを覚える頃となりました。
これからの季節は日もどんどん短くなってきます。
けれども、そんな季節だからこそ、味わう恵みも
またあるのです。

 私には、こんな思い出があります。小学生の時、
以前に通っていた幼稚園の横を、夕暮れに母と通りました。
暗い中で、あるところだけがうっすら光っていました。
母が嬉しそうに「クリスマスだよ。」と言った声が
耳に残っています。クリスマスツリーでした。
幼稚園にいたときにはいつも飾り付けていたのに、
そんなことはすっかり忘れていたのです。北風の吹く
夕暮れの中での輝きは、まるで大きな“ともしび”の
ように見えました。そして、子ども心に想いました。
「あの木の周りに手をかざせばポカポカと暖かいだろうなー。
 うちのストーブよりもずっとずっと暖かいだろうなー。」と。
その頃はクリスマスの意味など知りませんでしたけれども、
この時の思いはそれほど的外れではなかったのではないかと
今にして想います。


 クリスマスは言うまでもなく、救い主イエス・キリストの
お生まれになった日です。しかし、じつは、その正確な日付は
わからないのです。その昔、愛するイエス様の誕生をお祝い
したいと願った人々が、祈って、その時を決めました。
それは、その地方で一番寒く日が短い時でした。それが
12月25日です。以来、その日を世界の人々は祝い続ける
こととなりました。

 どうして、そんな一番寒くて、暗い日を選んだのか、と
思われるでしょうか。でも、私は、その人々の思いが良く
わかる気がするのです。そこには人々がイエス・キリストを
どのような方と考えていたのかがそのまま、表されていたのです。

 キリストは豊かで満ち足りた明るいところへお客さんのように
してやってこられたのではありました。そうではなくて、
キリストは欠けや貧しさ、悲しみ苦しみの中にある暗いところへ
来てくださったのです。そして、その場所を、その人を
明るく照らし、凍てつく心をとかし、暖め続けてくださる方として
来てくださった・・・、人々はそう信じていたのです。

 この私自身を照らし暖めてくださる希望の光・・キリスト。
その温もりを思い、この方の誕生を祝うのには凍てつく冬の
この日こそがふさわしく思われたのではないでしょうか。

 人々がロウソクやランプの小さな明かりを寄せ合うようにして
集まって、その光とぬこもりを肌で感じとりながら、私の心には
この光よりも、どんなこの世の光よりも、強く輝いている、
消えることのない光が、冷めることのない温もりが、いつもあると
思う・・、クリスマスはそのような日です。

 厳しい冬の日の中で、救い主キリストの「光は闇の中で
 輝いている。」のです。それは人々を生かす神の暖かな
恵みなのです。

 今の私たちの生活には光も暖房もなんの不自由もありません。
でも、電気の明かりやストーブの熱は、心の中には届きません。
心を照らしてくれる光は神の光イエス・キリストの光だけ
なのです。朝日幼稚園は、この光である救い主イエス・キリストが、
いつも、どんなときでも、子どもたち、そして、お父さん
お母さんも、ご家族みんな、すべての人々の心を照らし
温めてくださっていることを信じ、願いながら、保育に
携わっています。

 幼稚園では、11月からクリスマスのページェント(聖劇)の
練習に入ります。子どもたちの讃美歌を歌う声が響きます。
それは神の光に照らされた心からの喜びの歌声です。
12月4日の朝日幼稚園のクリスマスを楽しみに待ち望みましょう。


私たちを照らしてくださる救い主イエス・キリストの父なる神。
私の心はしばしば暗くなり、凍えてしまいます。子どもを
暖めてあげたいと思いながら、かえって冷たくしてしまいます。
イエス様の灯を私の心にともしてください。いつも消えることの
ない温もりをいただいて、その方の周りを囲み、子どもと、
そしてみんなと一緒に暖まることができるような毎日をあたえて
ください。永遠の光である主イエス・キリストのお名前に
よって祈ります。



聖句 光は闇の中で輝いている。
<新訳聖書 ヨハネによる福音書1章5節 >

賛美歌 「むかしむかしイェスさまは」「もろびとこぞりて」

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