えんだより2010年10月分

体は、多くの部分から成っています。
<新訳聖書 コリントへの信徒への手紙第一 12章14節>

「孤育ではなく共有」

  人は人との関わりの中で育ちます。父がいて母がいて
人は生まれてきて、まず家庭の中で人は育まれ、そこから
少しずつより広い関わりへと思いを広げていくのです。
 
 幼稚園もその関わりの一つです。幼稚園に通う子どもが
通うことは、ただその時間だけ子どもを預けるということ
ではありません。子どもとその家族というたくさんの人々と
出会いかかわる機会の中で、多くの方々と次々と関わりを
繋いでいくということでもあるのです。
 
 誰でも、子育てをしていて悩むこと、迷うことがあります。
“これが自分のやり方だ”と貫いてきたことがあっけなく
崩されることがあります。“思うようにいかない”、
“どうしてうちの子はこうなの”と考えさせられることも
度々です。そんな時に自分の内に籠もって自分だけで
解決しよう、自分の考えだけで「こうでなければ」とあまり
窮屈に考えないほうがよいのです。それは「孤育(孤独に育てる)」
となってしまう危険があります。

 大切なのは「共育(共に育てる)」です。
たくさんの子どもたち、人々との関わりの中で
自分の子育てを広くとらえてみるのです。

 幼稚園では専門職の眼差しから子どもたちを皆さんと一緒に
「共有する」働きに携わります。子どもたち、ご家族と関わり、
そこで得た経験を皆さんとお分かちしたいと願っているのです。


 子どもはみんなちがいます。育児書やマニュアルのように育つ
規格品のような子どもは誰一人としていません。人間は
数値化できないのです。

 必ずしも親の思うような順序、速度ではなく、みな、
それぞれの個性、環境の中で成長していくのです。
子どもだけではなく、私たち一人一人も誰一人として
同じような人はいません。みんな違って、
良いところも、悪いところも、一緒に併せ持って、
その人らしく生きているです。

 そのことに気づくと心がのびやかになります。その思いをもって
子どもをもう一度見ると悩みの霧は薄くなっていくことでしょう。

 子育てとは本来そのような多くの人々との関わりの中で
なされていくものです。そして、みんな関わりの中でこそ、
たくましく子どもは育つのです。

 そして、そのような人と人との関わりは決して
偶然のもので思いをはないのです。私たちの越えて
すべてを導いてくださる神が私たち一人一人を
出会わせてくれるのです。その人々と一緒にいるこの時も
神の計画の中にあるのです。神の導きの中で私たちは
一つの体とされているのです。聖書は集められたすべての人を
一人の人の体にたとえています。「体は、多くの部分から
成っています。」私たちは多大に支え合い、助け合って
育ち合うことが出来るのです。

 秋からも、運動会、芋掘り遠足等々、様々なプログラムが
予定されています。これらの行事は単なる季節のプログラム
ではなく、互いを出会わせてくださった神に感謝しつつ
その繋がりをよりしなやかに、強くして
子どもたちを共に育てるためのものです。
そして、私たちももちろん子どもたちと
共に育てられていくのです。

 
お祈り

 私たちはみんな、ちがいます。
 同じ人は一人もいません。
 自分でもそんなことはわかっているはずなのに、
 いつの間にか、私は自分の子どもを自分の枠の中
 だけで見てしまうことがあります。自分で自分を
 狭くしてしまって、子どものことも狭く見てしまうのです。
  どうぞ、幼稚園で出会う一緒にいるたくさんの
 子どもたちや、家族の人たちと共に、私の子どもを
 育てさせてください。一緒に育ちあうことのできる
 友をあたえてくさってありがとうございます。
 子どもたちだけではなく、この私もこの人々と共に
 育てられていくことができますように。
私たちを此処に集めて
出会いをあたえてくださった方、神の子・
 イエス・キリストのお名前によって祈ります
 
 




聖句 体は、多くの部分から成っています。
<新訳聖書 コリントへの信徒への手紙第一 12章14節 >

賛美歌 「むぎのたね」「しゅイエスはまことのぶどうのき」

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