えんだより2005年3月分
可能性はどこまでも!
今年度、最後の「えんだより」、となりました。
春一番が先日、吹いたことを記憶しています。
もうすぐ、春を迎えようとしています。
この舞鶴にも、春の香りが運ばれてきています。
幼稚園の玄関を入って、左手に階段を上りますと、階段の途中のところに、
一列になって「ひやしんす」、が私たちを出迎えて、
素敵な香りを放って、くれています。
どうぞ、御覧になってください。
その並んでいる、花はスミレさんが、ペットボトルを再利用して、
作った土がまったくない花壇(水栽培)です。
500mlのペットボトルを、飲み口の上から5cmほど、のところ輪切りにして、
それを逆さにして輪切りの、ところにはめ込みます。
ちょうど、そこに球根を添えて、水が球根に届くくらいまで、入れます。
すると、そこから真っ白な根が生えてくるのです。
昨年末から、育ててきています。それが、今やっと水と太陽と、
スミレさんの一人一人の愛によって、花を咲かせています。
冬休みには、自宅にみんな持って帰って、大事に育ててきました。
毎日、男の子も女の子も、手洗い場で水を取りかえるのに、
慎重に一歩一歩確かめながら、ゆっくり歩いてクラスまで、運びました。
今、その「ひやしんす」が、順番にそれぞれにきれいに、花を咲かせています。
聖書の中には、神さまが私たちに、神さまの言葉の種を、まいてくださっている、
という話があります。これは、イエスさまがなさった、たとえ話なのですが、
神さまは、まず石地に神さまの種を、まかれました。
しかし、そのようなところには、少ししか土がないので、
少し芽が出てきたのですが、
根っこがほとんど生えない、ために茎は弱々しくて、
すぐに腐ってしまいました。
次いで、茨の生えている、ところにも神さまは、種をまきました。
茨は、トゲトゲしているのが、特徴的な植物ですが、そこでは根っこは生えて、
さらに上に向って茎も、伸びてきました。
茨が生えるくらいですから、植物が育つ日光と土が、そこにはあったのです。
しかし、そこにせっかく伸びてきた、神さまの種の茎や葉が、
茨に邪魔されてしまい、そこからダメになって、しまいました。
そして、最後にしっかりした、土が豊かに広がる土地で、
近くに何の邪魔する、ような植物のないところに、神さまは種をまきました。
すると、そこでは神さまのまいた、種はしっかり根っこを生やし、
上にもグングンと茎を伸ばし、育ってゆきました。
その種は、たくさんの実りを、もたらして刈り取られ、
あるものは30倍になり、あるものは60倍になり、
あるものは100倍にさえなったのです。
これは、神さまの言葉の種は、どんな人にもまかれている、
ということをたとえた、イエスさまのお話です。
私たちがたとえ、石地であっても神さまは、
神さまの言葉の種を、ちゃんとまきに来るのです。
また、茨が生えているような、ところにも神さまは、わざわざ来てくださって、
種をまいてゆかれるのです。
私たちは普通は、石地になど種をまきません。
しかし、神さまはまくのです。
神さまが愛される土地には、たとえ道であったとしても、
石地であったとしても、種をまくのです。
さらに、このお話の大事なことは、私たちのことを神さまは、
石地であるとか茨のある、土地とは見てはいない、ということです。
たくさんの実りをもたらす、良い土地として見ておられる、ということです。
だから、誰でも私たちは、実りをつけることが、
約束されているのだ、と聖書は語るのです。
私たちは誰しも、根を生やし芽を出して、30倍や60倍や100倍もの、
実りをつけることができる、というのです。
私たちには、いつでも可能性と希望が、あるのです。
それは、私たちの想像できる、ぐらいのものではありません。
実りが、2倍くらいまでならば、私たちは想像すること、ができるでしょうけれど、
30倍や60倍や100倍の、実りなど私たちはきっと、想像できないでしょう。
これを、子育てに置き換えて、解釈することもできる、と思います。
私たちは、あまりはやく、わが子の性格(や心)を、見切ってしまっては、
ならないということが、いえるでしょう。
つまり、「この子は石地だ」、といって決め付けて、しまってはならない、ということです。
さらに、「石地に種をまいても、根など出るはずがない」、
などと思ってしまったら、それは最悪なことです。
神さまが、私たちをこの上ないほど、良い土地として見ておられる、
ように私たちもわが子を、この上ない良い土地である、
と見たいと思うのです。かりに、石地であったとするなら、
そのところの石ころを、毎日少しずつでも、取り除いてゆけば、
良いのです。時間はかかるでしょう。
けれども、この世に与えられた、子どもで悪い土地の子、などいません。
耕せば、みんな良い土地である、ことが分かります。
その本当に良い土地である、バラさんが今月の18日の、
卒園式をもって園を巣立ちます。
朝日幼稚園で、最高に良い土地として、たくさん耕されてきた、バラさんです。
神さまの種が、私たちにまかれて、根を生やし芽を出して、
30倍や60倍や100倍もの、実りをつけるように、
バラさんはこれから、朝日幼稚園を卒園して、さらにさらに大きくなって、
私たちの想像を超える、くらいの実をつけるでしょう。
子どもたちは、いつでも可能性があり、どこまでも続いてゆく、
希望があるのです。
わが子について、そのことをもっとも、信じることができる、のが親だと思います。
それこそが、親の義務のようにさえ、思います。
私たちが、可能性を諦めたり、希望を失ったり、することはありません。
私たちは、最高に良い土地である、わが子のことを信じて、
その心を耕してゆき、愛の種をまき続けて、ゆきたいと思います。
これから、朝日幼稚園の子ども、一人一人が元気いっぱい、
色とりどりの花を咲かせ、自分だけが持つことのできる、
香りを放ってゆくことを、確信しています。
もうすでに、花を咲かせ始めている、バラさんのご卒園を、
共に喜びたいと思います。
――神さま
朝日幼稚園に与えられた、子どもたちを
光の子として、歩ませてください。
すべての子どもたち、みんなが良い土地です。
神さまが、30倍、60倍、100倍もの果実を、
子どもたちに実らせてください。
みんなそろって進級し、みんなそろって卒園できますように。
イエスさまのお名前を通して、み前におささげいたします。
―アーメン
聖句 光の子として歩みなさい。
(エフェソの信徒への手紙 5章8節)
賛美歌