えんだより2005年2月分

神は御自分にかたどって人を創造された。
<創世記1章27節

「こづき」に手を抜かない!
 2005年がその幕を開きました。
そして、朝日幼稚園の3学期もはじまりました。
その第一の行事が1月21日(金)にありました「もちつき大会」でした。
今年はとくに保護者の方々に広く呼びかけ、なるべくお時間のある方に
参加していただくようにお願いしました。
その呼びかけに応えてくださるように、いく人もの方々が
駆けつけてくださいました。
例年ご協力くださるお祖父さんや役員の方々からはじまり、
それぞれのクラスの保護者の方が参加してくださいました。
天候もまた例年通り(!)であり、大雪にみまわれました。
一説によりますと『もちつき大会で晴天であったことはないほどに
天候は毎年悪い』そうです。その慣習にもれず、今年も
大きな雪がボタボタと落ちるなかで、もちつきを行いました。
早朝から、こんなに雪が降ってできるんだろうか?
と不安になるぐらい雪が積もりましたが、
そんな天候などお構いなしにテントをを園庭に
立てて、ピロティーへの設営がはじまりました。
大ウスを2つに小ウスを2つが用意されました。
大ウスはバラさん(年長)専用のウスです。
そして小ウスはスミレさん(年中)とタンポポさん(年少)のウスです。
「がんばれ!がんばれ!」と連呼する声の中で、全身の力を腕に集めて、
持っているキネをまず顔のところまで持ち上げるのが、子どもにとっては
一苦労です。それをあとは振り下ろせば良いのですけれども、
キネを持ち上げるところまでで力を使い果たしている子どもにとっては、
手元がいうことをききません。キネは、バランスを崩して、
ウスのヘリの辺りをたたいてしまいます。
私もバラさんの大ウスを借りてもちをつきました。
その後では、手返しというのも教えてもらいました。
しかしいずれもバラさんとドッコイドッコイの勝負でした。
私はいたって真剣にやっているにもかかわらず、声援は
アッという間に笑いへと移行してしまいました。
手返しなどは「あちちち、あちちち」と声ばかりが裏返っただけで、
おもちがいっこうに返らずじまいでした。
全園児みんなで声を掛け合いながら、順番に一人ひとりもちをつきました。
また、みんなでもちを一口ほどにまるめました。
そうして「(そのままの)白いもち」と「ユカリ入りもち」と「アオノリ入りもち」
と「アカマイ入りもち」と、カラフルにできあがりました。
そのおもちをおぜんざい」にしてもらったものと、「きなこ(あべかわもち)」
にしてもらったものとを食べることができました。
さらに、甘いおもちが苦手な子どものために「(しろいもちごめ)おにぎり」
もあり、S先生がつけたお漬物とシオコブもそえられました。
ご出席くださった保護者の方々も全員でおもちを食べました。
私はバラさんと一緒のところで食べましたが、「おいしいなあ、牧師センセー」
といいながら、外の寒さをすっかり忘れて笑顔で食べていた
子どもたちの顔が印象的でした。
子どもの中には、おぜんざいのお代わりを3杯もした男の子もありました。
また、「甘いのは苦手なんやけど、みんなでついたし、
みんなでまるめたんだし、食べてみるわ。」といって
全部食べきった女の子もありました。
一人でならできないことも集団の保育の中では「やってみよう」と
思ったり、実際に「やりこなしてしまう」ことがありますが、
まさにそのような場面に出会いました。
その一日のなかでたくさん思い出に残ることはあったのですが、
そのなかでも心に残っているものでYさんのお祖父さんが
教えてくれた言葉があります。
それはちょうどもちをつき始めるその時にいわれた、
「『こづき』で決まる。なんぼうまくついても、『こづき』があかんかったら
あかんわ。」という言葉です。
「こづき」とは、ふかしたもち米をつくまえにこねる作業のことです。
その「こづき」でもち米をまんべんなくこねておかないとならない。
そうしないと、あとでもち米がダマダマになって、いくら上手についても
そのダマダマはなくならないというのです。
私は、その場で「なるほど」と思いましたが、後から振り返って
それはいろいろな事柄に適用できることだと思わされました。
すぐに頭に浮かんだことは、幼児期の保育こそ「こづき」に
近いということです。
もちろん、子どもはもち米ではないのですっかり当てはまる訳には
いかないと思いますが、ある程度は近い意味を持っていると思います。
「こづき」で手を抜いたら「あかん」のです。
同じように、幼児期の親子の触れ合いに手を抜いたら「あかん」でしょう。
あとでもち米がダマダマになってしまうように、
そのダマダマを取り除くことはなかなか困難であるということも、
同じようにいえるでしょう。
聖書は、「神さまはご自分にかたどって人を創造された」といいます。
つまり「人はもともとも神さまにとって最も祝福された存在として
創造されたのだ」というのです。そしてその人がどのように
成長してゆくのか大きく左右するのが、幼児期であろうと思います。
「こづき」の時間は短いです。
幼児期も、人生の中ではほんの数年です。
だからこそそのときを大事にしたいと思うのです。
できることならば、同じ「こづき」の時期をもっている方々と一緒になって、
声を掛け合いながら、子育てを(「こづき」を)楽しみたいと思います。
それは、同じ幼稚園に通っている保護者の方々のメリットの一つです。
せっかくこの朝日幼稚園で結ばれた保護者のつながりですから、
ベテランママもシンマイママも大いに「こづき」の時期の
「こねのところ」を相談し合い、話し合いたいと願います。

――神さま。
あなたは、ご自身にかたどって私たちを創造されました。
あなたとの交わりに生きるために、そのような祝福のかたちを
くださいました。そのあなたからいただいた祝福のかたちを損なうことがないような、
幼児期の子育てをさせてください。
高熱が続いている子がたくさんいます。
幼稚園に来てもなかなか本調子がでない子が多いです。
子どもたちに健康を与えてください。
しばらく幼稚園に来れないご家庭を、神さまが顧みてください。
イエスさまのお名前を通して、み前におささげいたします。
           ―アーメン

聖句 神は御自分にかたどって人を創造された。
(創世記1章27節)
賛美歌 「つくしのように」 「あるこう みんなともに」

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