えんだより2003年3月分

愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから
わたしたちも互いに愛し合うべきです。

<ヨハネへの手紙 14章11節>

たんぽぽ組の男の子が、一生懸命毛糸を連げていたのだそうです。
「なにしてるの?」と声をかけたら、「僕、今までやったことがなかったから・・」と
答えたそうです。何?何を今までやったことがなかったのだろうと
教師が見守っていると、それはなんと縄跳び!!
出来上がった毛糸のひもを使って縄跳びをし始めたのです。
けれど、すぐ引っかかって毛糸の縄跳びがバラバラになったのは言うまでもありません・・。
でも教師はその姿に「ああ!」と思いあたる節がありました。前日の聖話で私が、
2月の聖句『求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば開かれる。』を通して、『お人形のみぃーちゃんが
毛糸を縄跳びにして(たまたま目についた紐がそれだったのです)何回も
練習して挑戦しているの。みんなもあきらめずにやってみることが大事』と
話をした所だったのです。思わぬお話の効果にびっくり。そして、その子どもの
じゃあ僕もやってみよう、という気持ちを思うととても嬉しかったです。
早いもので今月で3学期を終えようとしています。また、2002年度の歩みが
次の成長へとバトンタッチされます。ちょっぴり不安と緊張ではじまった4月、1学期。
活動の充実してきた2学期。そして、何より子どもたちと信頼関係を
築き上げることが出来たと感じる3学期。そんな日々の活動を通して、
ひとりひとりのお子さんの成長を感じさせていただいています。
『朝の用意がぐずぐずせず出来るようになった』
『ごはんがひとりで食べられるようになった』
と眼に見えて出来るようになったことはもちろんのこと、
『○○くんが泣いてる。それはあんな風に言われていやだったからだ』
『お花がきれいに咲いたね〜』『僕もやってみなくっちゃ〜』と、心もまた
色々感じ、表現することが出来るようになったと眼に見えない成長も感じるのです。
そんな一つひとつをご家庭と喜び合いたいと思います。
そして、また次の一歩です。一年一年確実に成長する子どもたちですから、
同じ所にとどまってはいません。また一歩前にでていきます。
親の出来ることも手を出し、口を出しがだんだん減っていきます。
後は眼差しだけになっていくのだと思います。
もちろん幼児期では、まだまだ手を出し、口も出し、
ある時には足も出しの状態だと思うのですが・・。なにより暖かい眼差しと
言葉かけを通して子どもは成長していくと思うのです。
聖路加国際病院名誉院長で、今年91才になられる日野原重明先生が
新聞のコラムに連載を書いておられるのですが、
その中で若者たちに伝えたいこととして
「○○してはいけない」とDON'Tを強調するのではなく、「もっとこうしよう」と
LET'Sを語りかけたいとありました。「戦争をしてはいけない」ではなく、
「さぁー平和のためにはどうしたらいいのだろう」と。
その言葉がとても私の心に響きました。
私たちは色々なことを思い、感じ、行動することの自由が与えられている。
その自由さの中で、子育てしながらつい「○○してはいけない」と子どもに
DON'Tばかり語ってはいないだろうか?その方が確かに安心なのです。
けど、「このやかんは熱いから触ってはダメダメ」ばかりを言うのではなくて、
「ちょっと触ってごらん」「ほら熱い!ではどうしよう?」と、まず身近なところから
語りかけることが大切なのではないか?熱いやかんを火傷しないように
ちょっと触るところがミソなんですけど、体で感じ、心で感じ、頭を動かすこと、
それがストン!と分かることに連がっていくのではないかと思うのです。
―愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも
互いに愛し合うべきです―が3月の聖句です。「このように私たちを愛された」というと
すぐどのように?と言ってしまいたくなります。
愛を語る時、イエス様の『十字架と復活』のお話を子どもたちにさせていただくのですが、
その時命について語らないわけにはいきません。幼稚園ですから誰かお腹の大きな
お母さんがおられます。その大きなお腹の中に命が育まれている。そんな話をすると、
その赤ちゃんのお兄ちゃん・お姉ちゃんはとっても嬉しそうです。みんなお母さんの
お腹の中から生まれてきました。神さまから与えられた命です。ひとりひとり
たった一つしかない命はとても大切なものです。生まれてくる時は、お母さんは痛いし
一生懸命生んで下さったと話をするのです。テレビを見ているうちに、おせんべいを
食べているうちに、「あら、生まれたわ」という子はひとりもいません。
汗をいっぱい流して苦しくて、でも生まれた時、どんなにおかあさん・おとうさんは
嬉しかったか―そして生まれでた命はひとりでは何にも出来ない。今のように
大きくなるためにはどれ程お世話が必要だったか―どんなにおとうさん・おかあさん
から私たちは愛されていることか―そしてこんな私たちのおとうさんを、おかあさんを
愛して下さっている神さま。その愛を体いっぱいに受けて、いっぱいになったら
お隣の人も愛せることを、愛したくなることを知りたいと思います。
子どもは素敵ですね。おとうさん、おかあさんからギュッと抱きしめられたら
もう何にもいらない―体いっぱい幸せを感じることが出来るのですから。



―御在天の父なる神さま、御名をほめたたえます。
あなたが全てを整え、ご用意下さっていることを心から感謝します。
ひとりひとりにあなたは大いなる愛を、計画を備えて下さって居ます。
私たちはあなたから愛されているものですから、安心して次の一歩を
踏み出すことが出来るようにしてください。
主の平和が世界中に満ち満ちますようにして下さい。
このお祈りをイエスさまのお名前を通して御前におささげいたします。

            アーメン―

聖句 愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、
わたしたちも互いに愛し合うべきです。

     <ヨハネへの手紙  14章11節>
賛美歌「なかよくなさいと イェスさまの」「イェスさま こどもを」

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