えんだより2001年3月分

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。
私を通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」

<ヨハネによる福音書 14章 6節>

さすがに寒い日々が続いていましたが、時折、嬉しくなるような日差しの暖かさに
出会うこの頃となってきました。いよいよ今年度最後の月を迎えます。
やっぱり3学期の日々は早いです。
この一年間私たちのしてきたこと、思いをめぐらすと様々なことがありました。
親子遠足や運動会、お泊り保育やお料理会、段ボールを使って家を作ったり、
でっかいでっかい砂山を作ってドロドロになったり、お友達とケンカもしたし、
仲良く遊んだりゲーム遊びもいっぱいしました。
そして毎日の礼拝。週3回合同礼拝をして、他の日も朝とお帰りの前に
お祈りをしました。「神は愛です」の聖句に始まって9つの聖句暗唱。
「主の祈り」もたんぽぽさんもとても上手に言えるようになってきました。
それに、絵本・おはなしもいっぱいいっぱい読んでもらい、聞きました。
この頃の私は『日々の積み重ね』という言葉をよく使いますが、
まさしく日々の積み重ねのうえに、毎日の幼稚園生活がいたるところで
展開されているのが分かります。子どもたちが帰った後の園庭、ピロティーを
掃除しているとあちこちに「明日もこれで遊ぼ」という思いなのでしょう、
木の陰や物の陰にいろいろ隠してあるのが見つかるのです。
思わずニヤッとしてしまうのですが、そんな子どもたちの姿を見つけるのが
私は大好きです。今日1日、一人一人の子どもが体と心を動かして活動できた
しるしなのですから・・・
朝日の幼稚園の子の自慢の一つに『よく話が聞ける』ということがあげられると
思います。先日のクラス懇談のビデオでも観ていただきましたが、
「あのね」と話を始めるとほとんどの子がぐっとこちらを見ます。
それは、手前みそではありますが、教師の話し方も上手いからと思うのです。
そして聞く姿勢が、これから始まる話のおもしろさを楽しみにして待っている
姿勢なのです。絵本を通して、お話を通して、このことを子どもたちは知りました。
頭の中では随分イメージ出来ているのではないかと思います。
情景を思い浮かべることが出来るのです。
ばら組の3学期ともなると、眼がバチバチ合って話している方がドキドキする程です。
これはよき伝統です。昨年卒園した子どもたちもばら組のときそうでした。
今、2年生の子も3年生の子も・・・。
この力をどうぞ益々磨いていってほしいと願わずにはいられません。
ただし、続けることのむずかしさは年をとればとるほど分かることです。
その力は持っていても、様々な出来事がその力を曇らせてしまうのです。
この1年こんなに成長したことを感じさせられ嬉しいものです。
でも、さらに成長し続ける中にはいつもいつも良い状態ばかりでなく、
「何でこんなことが・・」ということが起こるのです。でもそれは、
動きを止めて逆戻りしてしまった事ではなく、その子の成長の上で
通らなければならない道筋なのでしょう。
この頃聖話の中で『ブラックの心』という話がよく出てきます。
私たちの心はいつも明るく前向きで、お友だちに優しくしたいけど、
そうできない心があるという話です。そしてそんな心が自分の中にあると
5才児がこの話を受け止めてくれているのです。いじわるしたり、
いじけてしまったり、ケンカをしたり、そんな心があると、
具体的に受け止めてくれているのです。
『すごい!』と思います。
この聖話は、ブラックの心は悪い。だからそうならないように、という話ではなくて、
僕の、私の心の中にブラックな思いがあるということに
気がついてほしいということです。
神さまは人間をロボットではなく、ひとりひとりを違う人間として創造されました。
ひとりひとり違うということは、とても恵みです。ひとりひとりに神さまから
賜物をいただいているのです。私は教師になる時、ひとりひとりの子どもの賜物・
長所を3つはパッと言える教師でありたいと思いました。我子の賜物も
3つはパッと言える親でありたいです。でも、つい我子の短所、課題、
弱いところを3つパッと上げるということになりがちです。
それってブラックの心の現れかもしれません。
私たちは一生、このブラックな心と共に生きていかなくてはなりません。
困難なこと、思い通りにいかないことに出会うと、すぐこのブラックな心は表れます。
「どうして私だけがこんなことになるの?」
「私は悪くない、あの人が○○って言うからー」
すぐこの心を棚上げしたくなります。
先日、喫茶店に入っていたら、隣の若い男女が「ぼくね、幼稚園の時のことは
ほとんど覚えていないんだけど、クリスマス会で羊飼いの役をやったのを覚えてるんだ」
「あっ、それ私も幼稚園の時した!劇でしょう。私は星の役だった」と
話しているではありませんか。思わず耳がダンボになってしまいました。
今ここにいるこの子達は、幼稚園のことをどう覚えてくれているのでしょうか?
4月の「神は愛です」の聖句の中に『この一年、子どもたちが暖かい愛の中で
心と体を思い切り動かして、日々すごせますように』という祈りを込めました。
3月は「イエスは道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、
だれも父のもとに行くことはできない」でしめたいと思います。
ブラックな心があると気づいてくれた子どもたちです。
それでも神さまは私たちを愛して下さっています。
イエス様を送って下さり、共に喜び悲しんで下さる方を与えてくださいました。
この私たちのブラックな心のために、私の代わりとなって十字架にかかって下さいました。
卒園しても『イエス様が僕と一緒にいて下さる』という安心感を、子どもたちが
持っていてくれたらと祈ります。これからだって様々なことに出会います。
大人になって落ち込んで「ああ、もうダメだ。どうでもいいや」なんて思った時、
『幼稚園の時イエス様とか何とかいって、いつもそばにいるとかいってたなぁ』と
ちょこんと思い出してくれたらどんなに嬉しいことかと思います。
イエス様の光は輝いているのです。闇の中にも輝いて、私たちを
照らして下さっているのです。復活はあるのです。
私たちの心は、ブラックな心で閉ざされることはないのです。
この時期、祈りをもって送り出せることにしみじみ喜びを覚えます。
私たち教師は、日々こうして子どもたちと共に過ごさせていただけるからこそ、
イエス様の十字架と復活の恵みをより一層身に感じさせられ、
神さまと共に歩ませて頂けるのだと感謝で一杯です。
成長する子どもを与えられているそれぞれのご家庭も、その子を通して
より神さまの恵みを感じることができる日々が与えられているのです。


―ご在天の父なる神さま、今年度最後の月を迎えようとしています。
幼子が与えられ、日々共に過ごせる恵みを感謝致します。
罪ある私たちをこんなにも愛して下さっていることを心より感謝致します。
御名をほめたたえます。
それぞれのご家庭のうえに、
あなたの平安と祝福が豊かにありますように
お祈り致します。

このお祈りを、イエス様の御名前を通して御前にお捧げ致します。
            アーメン―

聖句 エスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。
私を通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」

     <ヨハネによる福音書 14章 6節>
賛美歌「つくしのように」「ひかり ひかり」

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