えんだより2000年7月分


主は羊飼い。わたしには何も欠けることがない
<詩編23篇 1節>

  先日の父親参観にはたくさんのお父さん・お家の方々に来ていただいて
ありがとうございました。お父さんと遊んでいる子どもたちの表情はとても
うれしそうでした。
ただ、日曜日の午後ということもあり、たんぽぽ組の子どもたちは

体力的に集中できなかったり、疲れてしまったりということがあったと思います。
今のばら組の子どもたちもたんぽぽ組の時はそうでした。
同じ行事を通して
お子さんの姿を見ると、
あれから1年我子はとてもよく成長しているのを感じられた

お父さんもおられたと思います。
また、お父さんにとっては家族のレクリエーションではなく、
親子で集団の行事に
参加されたのははじめてという方も
おられたと思います。
正直言うとちょっぴり
気の重い父の日だったかもしれません。
でも、こんな父の日が過ごせるのは

我子が幼稚園時代だけです。
一般に父の日は母の日に比べると脚光が
あびにくいようです。
商戦では‘父の日’‘母の日’と共に宣言していますが

忘れられることが多いのではないでしょうか。
この父の日母の日なんて
言われるようになったのは、
日本では、戦後昭和30年代以降ではないかと
思うのですが、
母の日はキリスト教が起源です。
それに対抗して父の日が
出来たのでしょうか。
 今、家庭の中でお父さんの位置はとても難しいものになってきたように思います。
祭り上げられていたお父さんからお友だち感覚のお父さん、
恐いお父さんから
優しいお父さんにぐ〜んと移行してきました。
私の子どもの頃は、お風呂に入る
順番は1番がお父さん、次は弟でした。
それが、姉である私にはなんか腑に落ちない
ものでした。
おかずは一品お父さんが多く、それを分けてもらって口にポンと

ほうりこんでもらうのが嬉しかったでした。
でも今我が家ではお風呂は入れる者
からどんどん。
一番風呂はお湯が熱いかもしれないので
(一番初めに入った人が
お湯の温度の調節をする事になっているのです。)
2番以降に入るのがグッドです。

一番風呂・新湯と言ってましたけど、シャワーが普及してくるとそれ程新湯に
こだわらなくても良いようになってきたのかもしれません。
そんな時代の移り変わりは
今までそれぞれの家庭が持っていた
不文律の決まり事をどんどんなくして
きているのではないでしょうか。
もっとそれぞれの家庭で『○○さんちは○○さん家、
我が家は我が家』
というものがあったと思うのです。
『○○さんがこうしているから
私も』と言われると、
その言葉に弱くてどんどん家庭の不文律が崩れてきている
ように思います。
また、テレビがそれぞれの家庭の中にどんどん遠慮なく入り込み、

マスメディアの影響は大きいかもしれないとしれないと思わされます。
そして
家庭の枠組みが取り払われた分、この子をどう育てるのか、
どう育っていって
ほしいのか、家庭の教育力もとても落ちてきました。
もっと具体的には、今まで
この年齢で出来ていたことが出来なくなっている
子どもが多いです。箸の持ち方、
トイレの自立、着替え、物の始末等、
身の回り自立がそれぞれの年齢で
遅れているのが現状です。
でも親御さんも、気になりながらどう訓練していって

いいのか分からない、ということもあるかもしれません。
 箸などはこの年齢の時に、食事の度毎に手本を示してもらい、
子どもは観て、
やってみて、身に付けていくしかありません。
手間がかかるのです。でもその事の
手抜は出来ないのです。
箸で食べたらポロポロこぼすし、汚いしと思うときもあると
思うのですが
、失敗しないと身に付かないことはたくさんあります。
どうぞ子どもに
失敗をさせてやって下さい。
失敗するためにも色んな事をさせてやって下さい。

子どもが小さい時は、まだまだ手を出し、抱きしめ、かかえていくということに
なりますが、じっと見守る慈しみの眼も大切です。
特に母親はつい手を出し
口を出します。
ぜひお父さんには、その子の生涯を通して見守る慈しみの眼を

いつもそそぐ人であってほしいのです。
そして子どもがいけないことをした時には、
‘いけない’としっかり言ってくださるお父さんでいていただきたいと思います。
子どもは色んな事をやらかします。特に幼稚園児のする事は『わけわからん』と
思われることも多いでしょう。
どう手を出して遊んだら良いのか分からないと思われる
所もあるでしょう。
手は出なくても、口ではなくても、じっと見つめる眼をお子さんに

そそいであげて下さい。
子どもは見られたがっています。
日々の保育の中で

「先生!見て!見て!」と呼ぶ子どもの声のいかに多いことか。
子どもの遊びを
見ていると男の子と女の子の遊びはあきらかに違います。
それぞれの特質が
あることを考えさせられずにはいられません。
教育の世界は混乱しています。

今「お父さんの出番!」とあちこちで言われています。今求められているのは、
何よりも父親の子どもに対する眼差しではないかと思うのです。
―主は羊飼い。わたしには何も欠けることがない―7月の聖句です。
主とは神さまです。神さまは私たちのお父さんです。
そのお父さんが羊飼いだと
この聖句でいっています。
羊飼いは羊を守ります。
羊が間違った方向に
向かわないようにいつも見守っています。
羊は自由に牧草の草を食べます。
充分満足するまで食べます。
そんな羊を羊飼いはいつも見守っているのです。

そして危ないところに行こうとすると‘ダメ’とその行き先を止めるのです。
いつも見守って下さる方がおられる、
危ない時には‘ダメ’と教えて下さる方が
おられる、
その安心感の中で羊は‘私には欠けることがない’と告白しています。

この羊は私たちです。
お父さんと共にある時、お父さんが見ていてくれる時、子どもはとっても満足で
うれしいものなのです。

ご在天の父なる神さま、御名をほめたたえます。
いつもあなたがそばにいて下さる、その事の恵みを覚えます。
暑い夏がやってきます。プール遊びも始まります。
どうぞ一人一人の健康を守り支えて下さいますようにお願いします。

このお祈りをイエス様の御名前を通して御前におささげいたします。
      アーメン―

聖句 主は羊飼い。わたしには何も欠けることがない <詩編23篇 1節>
賛美歌 「うみでおよぐ」「やまには けわしい」

  えんだより目次へ戻る  2000年度目次へ戻る   トップへ戻る