中学校入学

中学校入学までの経緯
校区の中学校には障害児学級があり3人が在籍していた。
そこにセリカもいくつもりにしていたが、
みたところ3人ともかなりしっかりした子で
いわゆる「障害児」というタイプではない。
今まで体育祭や参観日でみかけたり
お母さんに話をきいてみたりしても、
中学校の障害児学級でセリカが同じように
やっていけるだろうか?と以前から心配だった。
そこで、一度中学校に話をしにいかせてくださいと、
担任の先生と学校長経由でお願いしてもらい、昨年の秋
(2002年11月14日)本人と両親とで中学校にいかせてもらった。
むこうは校長先生、障害児学級の担任の先生、
養護の先生の3人のメンバー。
今までの経過や障害の様子、程度を話し、
こちらの中学校でお世話になりたいということ、
その際のいろいろな要望、大きく分けると
1、中学生になったからといって中学校の勉強は無理なので、
今の教科書をつかって今までの続きの勉強をさせてほしい。
2、小学校の生活単元のような時間をもうけてほしい。
(機能訓練につながる)
3、トイレの世話などのこともあるので
できたら女性教師をお願いしたい。
というようなことをお願いした。
学校からは安全面で気をつけなければいけないことを主に聞かれ
体温調節が難しいことや、
段差があるとふらつくこと、トイレが洋式のほうが望ましい
というようなことをお話した。
学校の考えとしては、今の3人プラスセリカでは
やはり先生1人では負担が大きいので
一学級増設の方向で考えてみるとのことで、
もう1人の子とセリカで「病弱児学級」で申請してみます、
と言われた。そのために医師の診断書があると助かるといわれ、
その翌日に療育センターにいって看護師さんにお話すると、
予約でいっぱいの先生が時間をちょっとさいてくれて
話をする機会をつくってくれた。
そのときに「セリカちゃんの進路のことが気になっていたから
こちらから連絡をしなきゃいけなかったのにすいません」といわれ、
そんなに親身に考えてもらっていたことが本当にありがたいと感じ、
セリカはいろいろな人に守られているなあと感じた。
診断書はその日のうちにいただいて翌日には学校に提出した。

その後1月に校長先生より電話をいただき、
病弱児学級はだめだったけど
(理由は前例がないから、ということだった。)
今度はセリカ1人で「肢体不自由児学級」で申請してみますといわれ、
2月に、期限付きだけどとおりました、と連絡があった。
期限付きというのは、今在籍中の子とセリカと2人重なる
二年間のみ増設、ということで
先生も1人増えてついてくださる、とのことだった。
ありがたい。障害者手帳もらっておいてよかった。

2月23日には体験入学もおねがいしていたが、
このとき猛威をふるっていたインフルエンザに
やられたか、前日の夕方になって発熱し、
どたんばでキャンセル。。。(T_T)
いろいろ連絡してもらったこちらの先生方にももうしわけなかったし
受け入れ準備をしてくれていたらしい
中学校にももうしわけなかったし
いっしょにいくはずだったお友達にももうしわけなくて
母は久々に脱力・・。
その後ふりかえの体験入学を3月17日にしてもらい、
担任の先生もいっしょに
4、5時間目の授業をみせてもらった。
4時間目は英語で見学のみ。
動物の鳴き声を英語でおしえてもらったりして、
緊張しつつも楽しそうにしていた。
5時間目は数学でセリカたちも持参の算数の問題をやった。
その後、先生と懇談があり、
中学校の生活についていろいろ説明をうけた。
壊れていたという洋式トイレはきれいになっていて、
手すりをつけてもらっていた。

その後また校長先生から電話をいただき、
今度療育センターの訓練を見にこられるという。
(詳しくは過去の記録・雑記の療育についてのページ)
言語訓練はもうおわってしまったので
運動機能訓練のほうを養護の先生たちが見にこられ、
今後の学校での訓練の参考にするということだった。
そのときに遊具の購入もいろいろ検討中とのことで、
センターの先生にカタログをみせてもらったりして、
中学校での受け入れ体制を
しっかりとってくれていることが感じられた。
担任がきまったらすぐに連絡します、との言葉どおり、
新任式の前に電話をいただき
すぐに先生が家にいらして懇談をもつことができた。
今までの経過をまた話し、本人とも話をしてもらい
学校生活のうえで注意しなければいけないようなことも
説明した。
入学式の前日には、また先生が、式の手順や
名前を呼ぶ順番を書いた紙をもってきてくれた。
校長先生が「転んだりして最初にはずかしい思いを
したりしたらかわいそうだから」と
たいへん気にしておられるとのことだった。ありがたいことだ。
でも歩くのは大丈夫ですから、と答えたが、
翌日の入学式では、入場のときに先生がつかずはなれずでついてもらい、
退場のときも担任の先生が横を歩いて、
気配り満点というかんじだった。
最初に協力学級にはいり、その後セリカのクラスにいってみたら
ミニトランポリンや平均台などがそろえてあった。
こちらが思っていた以上の気配りで恐縮するくらいだった。

1学級増設なども、今までの経験からダメもとで
「とりあえずいいたいことはいっておこう」
と思ってのことだったが、
その後の経過をみていると、昔とは明らかに違うかんじがした。
おなじく他の中学校に入学した友達の話をきいてみても、
障害者理解がすすんできたというか、
教育委員会の方針がかわったというか
ノーマライゼーションという言葉が
かなり浸透してきているのかなと感じた。

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