幼稚園入園

入園までの経緯その1

そろそろ幼稚園を探す時期になった。
秋頃からようやく歩くのは大丈夫になったものの、
転びやすいし、段差のある場所は手をつながないと
だめだったし、生活全般に補助が必要な状況だった。
長女の通っている幼稚園には
いつも送り迎えのときに セリカもつれていって、
病気の話もしてあったので、入園もそこを希望した。
しかし、当時は先生の数もぎりぎりで、
セリカをうけいれるのは難しいと言われた。
母子通園でもいいですから、と言ったが、それは困ると言われた。
願書受付のときに、園長先生に時間をとってもらい話にいったが
「幼稚園経営はボランティアではないので、
セリカちゃんひとりのために先生を雇うことはできません。」
と言われた。(今思うとそれはもっともな話だ。)
「集団生活をするより、少人数で
訓練されるほうがむいているのでは」
とも言われたが、療育センターの方からも
「そろそろ幼稚園で、集団生活を体験する方がいい」と
言われていたし、こちらも普通に幼稚園に通わせたかった。
その場で入園ははっきり断られたが
入園の許可不許可は別にして、
「体験入園をさせてもらえませんか」とお願いして、
12月から月に数回、母子通園させてもらった。

保育の都合もあるので、先生がいいといわれた日に出かけたが、
12月に3回、1月に回、2月に3回あった。
日によっては、お弁当をもって、1日いることもあった。
セリカは同じ年の年少組にまぜてもらい、
私もそこでいっしょにすごした。
段差はおしりをついて移動していたし、
廊下をしっかり歩く姿もみてもらった。
お弁当のときにしっかり箸をもって食べられるのも
わかってもらえた。
結局、入園できなかったが、今考えると、
在籍園児でもないのにこんなにしてもらい、
格段の措置だったと思う。
(先生方には本当にお世話になり、ありがとうございました。)

幼稚園が決まらないままどんどん日がすぎていった。
最初に断られたときに、もちろん他の園にもきいてみた。
「うちはちょっと」と最初から断られたところもあるし、
「いったんお子さんをつれてきてください。」といわれた園もあった。
そこにはダウンの子がいて、話もきいてもらえたが、
「来年の入園希望者の数をみてみないと、
受け入れはできない」と言われた。
「それはいつですか?」ときいたが、あいまいな返事で
遠まわしに受け入れはできないようなかんじだった。
障害児を積極的に受け入れているという評判のところもあったが
遠い上に、月謝が高かった。(無認可だったりするため)

長女の同級生のお母さんで、福祉関係に詳しい人が
「児童相談所で相談してみたらどうでしょう。」と
アドバイスをくれた。
(この方が中心になって、幼稚園の役員さんたちが、
なんとかセリカを受け入れられないか
役員会で話し合ってくれたりもした。
結果は、先生の増員がないと難しいので、無理とのことだった。
しかし、その心遣いがありがたかった。)

児童相談所に電話をしてみると、
日を指定されて相談を受けられることになった。
児童相談所の相談員(?)と障害の程度を判定する人がいて
セリカの様子をみながら話をした。
同時に保健所の保健婦さんも親身になって相談にのってくれ、
電話をくれたり、 いっしょに市の保育所見学にも行ってもらった。

保健婦さんが窓口になって
児童相談所から「意見書」を書いてもらい
それを幼稚園にもっていってはどうかということになった。

「意見書
児童名  セリカ

上記の児童について、身体障害者手帳2級体幹機能障害)レベルの
身体障害、また若干の発達の遅れが認められますが、
今後の発達のためには 早期に保育所、幼稚園等の集団で
集団経験をつませていくこと、生活訓練を うけていくことが望ましいと
思われましたので、
関係機関にはご配慮よろしく お願いします。

京都府福知山児童相談所
心理判定員 ○○」

願書受付期間が終る2月の終わりに、ダメもとでともう1回、
願書と書いてもらった意見書、
私の思いを綴った手紙も添えて提出したが
結果はやはりだめで、願書がそのまま帰ってきた。
教員の増員はできないのでセリカはみられないとの理由だった。
周りのお母さんたちと、その場では「やっぱりね〜」と笑って話したが、
歩いて帰る道々、悲しくなって泣けてきた。

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