府立医大へ(手術まで)

M先生にストレッチャーをひいてもらい、
そのまま 6階C-6病舎にある脳外科へいった。
そこでM先生とはお別れ。
(というのも変だが、M先生は病棟の患者担当ではなかったので)
4人部屋の観察室の隣の部屋に入ったところで、
主治医の恵飛須先生がこられた。
今度は恵飛須先生に後光がさしてみえた。
(名前も縁起の良い名前で絶対助けてもらえる、と思った。)

「点滴をさしなおします」と言われ、一時間弱奮闘しておられたが、
どうにもこうにもささらないので
手術までそのままいきましょう、ということになった。
??と思ったが、赤ちゃんの血管はさしにくく、
この先もしばらく点滴や採血には苦労しておられた。
(これは主治医に限らない。)
とりあえず、今は症状がおちついているので
CT検査、血管造影検査もして
手術をすることになった。
ところでこの部屋、このときはなんとも思わなかったが、重
篤な症状になると入ることになる部屋のようで、
夜中もドアは開きっぱなし、
しょっちゅうアラームがなり、看護婦さんの動きも慌しい。
手前のベッドにいた人の血圧は素人でも大丈夫なの?と思うくらいで
最初みたときはぎょっとしたのを覚えている。

翌日10月25日(金)には部屋を移動。
まわりから子ども室と言われている2人部屋だった。
同室の子は同じ髄芽腫のA君。三歳の男の子。
再発での入院だった。

とりあえずの平安。
手術の前はボウズ頭にするというので、
髪を剃ったらこんな顔とふざけて
写真をとったりもした。
しかし、胃が痛くなったという経験をしたことのない私が、
このころ初めて 胃が痛くて食欲がでない、という状態になった。
後にも先にもこのとき限りだったけど。

10月26日(土)
夜中から嘔吐がはじまった。
2:30、6:00、6:20、9:35、14:30と嘔吐。
もしかしたらまた腫瘍が大きくなったかもしれないからと
CTをとることになった。
睡眠剤を飲ませてCT室に連れて行ったが、目はパッチリしたまま。
部屋を暗くしたり、先生が点滴から薬を追加してみても
セリカはますますめずらしそうに、目をきょろきょろさせるばかり。
1時間以上待ったが、どうにも寝そうにないので、中止になった。
「子どももなんかされるってわかるんでしょうね。」といわれた。
そして部屋にもどったセリカは、さっきの薬がきいて延々と眠った・・・・。

たっぷり寝てしまったので、今度は夜になっても寝られない。
大阪の社宅時代の友達がお見舞いにもってきてくれたお寿司を
ほしがって食べたり、にこにこしたり、おしゃべりしたり、
ご機嫌で、ようやく眠ったのは12時前だった。

お見舞いにきたマリコとセリカ 頭をそったらこんな顔

91.10.25 お見舞いにきた長女と 91.10.26 髪の毛そったらこんな顔

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