発病のきざし

最初は嘔吐からはじまった。
体育の日の前後の連休を利用して富山の実家に帰っていた。
10月10日は地域のおまつりで、セリカもはっぴを着せてもらって
おみこしについてまわった。
お菓子をもらって帰ってきて、夕方の5時ごろ、いきなり嘔吐をした。
口から
ピュっと噴水をはくようなかんじだった。
それ1回きりだったので、食べ過ぎでもしたかな、とそのときはおわった。
11日の午前中にも同じような吐き方をしたので、
これは胃腸風邪かな、と思い、
実家近くの小児科を受診した。
診察した先生は、おなかの音も特に悪くはないし、熱もなく、元気だし
よく食べるしで何で吐いたのかはわからない、と言われた。
そのまま吐きつづけていたら、詳しく検査をすすめられて
富山の病院で入院していたかもしれないが、
見た目はまるっきり普通で、そこまでにはいたらなかった。
むかつき止めの坐薬をもらって、翌日またつれてくるようにとといわれた。
12日に受診して、「その後は吐いていません。」というと
もういいでしょうということになって、
そのまま吐くこともなかったので
実家から福井県の自宅に戻った。
ところが10月14日の晩に家でまた吐いた。
翌日15日も吐いたので、これは小児科にいかなくては、と思い
当時、京都から福井県に引っ越したてで、
どこに病院があるかもわからなかったので
近所の人におしえてもらった小浜市の個人病院へつれていった。
胃腸風邪だろうと軽く考えていて、
実際そういわれ、薬をもらって帰った。
その後の記録。

10/16(水)夜吐く。夜中2回吐く。
10/17(木)吐く。T医院入院。
10/18(金)ずっと元気なので、一泊で退院。退院後家ですぐ吐く。
10/19(土)前日に吐いたことを話すと、
外来でポカリスエットを飲まされその場で吐く。
再入院となり、絶食して点滴。
10/20(日)昼・夜・少し吐く。絶食とおもゆのくりかえし。
10/21(月)朝・昼、吐く。肝臓の検査、異常なし。
10/22(火)昼・夜、吐く。髄液をとって髄膜炎の検査、異常なし。
10/23(水)朝、吐く。国立舞鶴病院へ転院。

セリカは絶食して点滴したが
お腹がすいて本の食べ物を指さして泣いた。
たまたまもってきてもらった「ベビーブック12月号」に
「おかあさんといっしょ」のうたのおにいさんが、
クリスマスのチキンやケーキをたべている写真がのっていて、
それを見てほしがった。
また、同室の子が食事をしているのをみて
それもほしがって「マンマ〜」と泣いていた。
今考えると、お腹はなんともなかったのだから、
さぞ、ひもじかったんだろう。
しかたがなかったとはいえ、かわいそうなことをした。
病院の栄養士さんはとても親切で、おもゆも吐くので、
くずゆをつくってあげようか、とききにきてくれたり、
あれこれ気づかってくれた。
入院してからも熱もなく元気だったが、月曜日くらいから
おすわりをさせたら後ろにころがってしまうことが多くなった。
手のひらで背中をささえて、手をはずすと
す〜っと後ろに倒れてしまうので
枕をささえにすわらせていた。
これはおなかがすいて体力がなくなってきているせいかと
思っていたが(今思うととんでもないかんちがい。)
腫瘍がどんどん大きくなってきて
体をささえる機能に影響がでていたんだろう。
さらに
寝ている時間も長くなってきて
これも体力が落ちているせいかなと思った。
これも、腫瘍のせいで、脳圧が高くなり
水頭症をおこして傾眠傾向が出ていたらしい。
小児科の先生はこのころからもう脳の病気を疑っていたのかもしれないが
熱もないけど、髄膜炎の検査をしてみましょう、といわれ髄液をとった。
髄液はきれいで、髄膜炎でもないと言われた。
髄液の検査のあとは動かさないようにと言われたが、
一日中寝ているようになっていたので、動く心配もなかった。
後から入院した子は次々と元気になって退院していくのに、
さすがにこれは何かおかしいんじゃないかと思いはじめていた。
週末に夫が休みになったら、退院させてもらって、
大きい病院へ連れていこうと思っていたら、
T医院のほうから、国立舞鶴病院に転院してくださいと言われた。
病院の車でおくってくれたが、窓から見る光景は
一週間ですっかり秋になっていた。
付き添ってくれた婦長さんが、受付をすませてくれて、帰る前に
「私達はこれで帰るけど、たいしたことないといいね。」と
声をかけてくれてほんとにありがたかった。

いきなり入院になって、長女は夫の実家にあずかってもらった。
最初はかなり不安で泣いてばかりいたそうだが
だんだん慣れたようだった。

最初に吐いたとき

91.10.10 最初に吐いたとき

闘病記生育歴にもどる

戻る 次へすすむ トップへもどる