セリカあれこれ

きょうだいについて

病気になった子どものことばかり心配するのは当然ですが、
いきなり母親においていかれる立場になったきょうだいも
ものすごくストレスがたまっているはずです。

うちはまだ三歳前の長女を、夫の実家に預かってもらいました。
義父・義母ともに本当にお世話になりました。
実家の存在がなかったら入院も安心してできなかったことでしょう。
長女は、それまで実家からは遠くに離れてくらしていたので、
いきなり預けられた時は
とても不安そうで、よく泣いていたそうです。
毎週末、夫といっしょに病院にきたときはできるだけかまってやるようにしました。
遠いので土曜日の夜、1泊していくときは、夫が付き添いをして、私と長女が
泊まるようにしたこともあります。そういうときはべったりくっついていました。
退院するまでに何度もお見舞いにきましたが、帰る時には必ず泣きました。
病院をでて駐車場についてもずっと泣いていたそうです。

その後、入退院を繰り返して治療している時も、そのたびごとに預かってもらい
もうそのときには、第二の家のようになっていたので、
もう泣くことはありません
でしたが、
預けるたびに夜になると咳き込む、という話でした。

しかし、退院して家で一緒に寝ると、咳はまったくありません。
後年、一番下の妹が喘息で入院した時も自宅にいて咳きこんだようで、
学校を欠席して、外来に受診しにつれていきました。
そのときは
喘息っぽい(あくまでも「ぽい」です。)と 言われました。
他の時はなんともありません。

どうも私がいないと咳がでていたようで、心因性の咳でした。

その他に、どうもこれはいきなりの母子分離に原因があるのではと
私が思うことは、いつまでたってもひとりで寝られない、ということです。
夜は家族みんなで同じ部屋で寝ていましたが、私がいっしょに2階にあがって
布団に横にならないと、長女は寝られませんでした。
「2階にあがって寝なさいよ」というと、セリカでさえ、小学校低学年のうちから
寝られましたが、長女は私が上にあがらないと、
いつまでたっても行こうと
しません。そういう原因を思い当たらない頃は
いいかげんにひとりで寝られるようにしなければいけないからというので、
わざとほっておいたことがありますが、そのときは、11時をすぎても
階段の途中にすわって待っていて、決して上にあがりませんでした。
やっと親がいなくても上にあがれるようになったのは小学校5年生を

すぎたころからでした。
そのときも、寝る時間は別でも、布団は隣です。
中学生になってから、さすがに別室で寝るようになりましたが、何かと理由を
つけては(寒いから、暑いから、怖いテレビをみたから)同じ部屋で寝ようとしました。
(本人の気が済むようにさせようと思っていたらそのうち平気で一人
夜更かしをするように。。。。。)


病院で知り合った子のお母さんがやはり同じようなことを言っていました。
その子は治療中も治療後も平気だったけど、お姉ちゃんが亡くなったあと
しばらく、いっしょにくっついていないと寝られなかったそうです。
そのお母さんも本人がいいというまで、いっしょに寝ていた、そのうちに
またひとりで寝られるようなったということでした。


ネットで知り合った同じような環境の友達のお子さんも、不整脈が出たり
登校拒否気味になったり、いろいろ影響がでていたようです。
どうしても、病気になったその子にばかり目がいきがちですが、
同じくらいがんばっているきょうだいにも、しっかり目をむけてやることも
必要なことだと思います。

参考

自らが病気の弟を持った作者が、ご自分の体験をもとに書かれた童話が
絵本として出版されました。
病気の兄弟姉妹を持つ子ども本人と周囲の人々が
このような経験を少しでも理解し、受け入れていってくれることを願って
書かれたものです。
「おにいちゃんが病気になったその日から 」
著・佐川奈津子・絵・黒井 健・小学館

おにいちゃんが病気になったその日から

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